月時計



 閉館したホテルの庭は、手入れされぬようになってからもうどれだけ経ったのだろうか。人影無くそびえる建物の傍らに、かつては目を楽しませたに違いない敷地の広さが、却ってもの寂しさ恐ろしさを募らせるかに思われた。
 とりわけ休憩用に設えられたのだろう東屋付近は、もとより木陰を深めるよう意図して木々を密に並べたがためか。野放図に茂るままにおかれて鬱蒼と、暗さ陰鬱さばかりを意識させる。
 夜が至れば一層のこと。
 営業されていないホテルに明かりの入るはずもなく、かろうじてソーラーパネルで動く庭灯が撤去もされぬままいくつか、ぽつりぽつりと光を放つ。それも昼に陽光の入る場所にあればこそ。
 樹木の下にはただただ闇陰ばかりが深い。


 どうせなら陽のあるうちにしてくれればよいのにと、いつもながらの甲斐の無い繰言を胸に、私は夜の庭を歩いていた。目指す東屋は暗がりのさらに奥まった場所で、隠れ家のようだと面白がるには、明かりが乏しすぎる。
 そうしてたどり着いた東屋はといえば荒れ汚れて、石壁を這う蔦が美しいより不気味さを装わせている。瀟洒な造りも台無しだ。
 待ち合わせの相手は、やはりまだ来ていなかった。約束した時間の通りに来たことなど一度もないのだ。約束の時間も場所も、言い出したのは相手の方だったというのに。
 屋根の内よりはまだ外にいた方が明るい。
 いつものように屋外のベンチに腰を下ろした私は、否応なしにそれを目にした。
 大人の腰丈ほどの台座のようなもの。上面中央が少し窪み、黒色の繊細な飾りをまとった三角形の透かし板が立てられている。
 庭の設計者の趣味か、東屋の傍らに据え置かれているそれは日時計ではない。
 石造りの、月時計。
 日によって変る月の出入りを考慮して時を示すように工夫を凝らしたそれは、だが実用として用いられようもない。
 いったい誰が、かそけき三日月の光の成した針影を読もうとするだろう。目を凝らすほどに曖昧に輪郭を失うばかりではないか。
 これはただ一個の装飾品としての役割をしか果したことはないに違いない。表面に変貌する月の様を刻みながら、枝葉に遮られた今は月光に撫でられることもかなわず、仮初めの役目をさえ果たせはしない。
 どうだ、この無用の美の美しさは。


 待ち合わせの相手は遅い。
 或いは月時計の針がいずこかを示す時まで来ないつもりか。
 熱の気配のない台座にもたれかかり、目を閉ざす。
 永遠に似た心地がした。


(2003.5.5)






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