へびのあとあし


解説未満の呟き
自己満足の覚書
読むとかえって混乱するかもしれません(笑)

けっこう、うろ覚えのまま書いてます


朧なる /  迷い雪 /  酔宵桜花 /  わが身ひとつの夜にはあらねど

岩井蒼の不遇な週末 /  Dream Catcher /  花蝕之天



岩井蒼の不遇な週末
解説文章


わが身ひとつの夜にはあらねど
 タイトルは、和歌の下の句のもじり(元は「わが身ひとつの月にはあらねど」)。「月」のままでもよかったかなと思わなくもない。
 キーワードは、月、薄野原、月見草(荒地待宵草)、凸面鏡、水。



酔宵桜花
 キーワードは川、橋、桜、といったところになりますか。

 川は世界を区切り分けるものです。一番わかりやすいのが三途の川でしょう。彼岸と此岸、あの世とこの世、死と生、異界と現実、非日常と日常。区別無くあったものを『あちら』と『こちら』に、とその在る場所を分けるのが川なわけです。

 そうすると、橋は繋ぐものになります。『あちら』と『こちら』を繋いでしまう。だから、橋の上はの場所。両者が混在し、本来は別々の世界にいるべき生者と死者がすれちがう場所。そしてまたどちらの世界にも属さないものが現れる場所でもあります(だから《辻占》と同様、ここで《橋占》なんてのが行われたりするわけで)。
 また観念的な問題でなくとも、橋は町に属さない場所ということで、橋の上での商売には税金がかからず、そのため橋の上にさかんに市がたったという歴史的事実があったとどっかで読んだような…(曖昧。うろ覚えなので勘違いかも(爆))。

 で、橋のたもとというと、あれです、一条戻り橋。陰陽師・安倍晴明が式神を置いていた場所。橋と同様、異界との境という扱いになってるわけです。これは河原と同様の扱いですね。河原もまた川に準じているので、町ではない、現世(日常の世界)ではない場所になるわけです。日本では昔、いわゆる芸人とかこじきとか、市民町民でないランク外の人たちはここに暮らしていました。同時に、ここに暮らす人は人以外のものとして認識されたり…ということから河童なんてのと同一視されたりしたなんて部分もあったりするわけです。

 最後に桜。桜というは、ただその美しさを愛でるという面だけでないのだそうで。地の下にある負の要素、魔物などを吸い上げて、花と一緒に地上にまき散らしてしまったりするので、平安時代とかには桜の開花の頃に鎮花祭(はなしずめのまつり)なんてものを行なっていたらしいです。開花時期が遅れたり早すぎたりすると、吉凶を占ったり災いを避けるための祀りをしたり、色々大変だったらしい。
 つまり、春というのは植物や生物が生き生きと元気よく動き出す季節なのですが、同時にあまりよくない諸々のものもまた目一杯勢いよく活動し始める季節だってことです(人間でもなんか変な人が出没したりするようですし)。そういった良くないものというのは多くはやはり暗い地の底にあるという認識があるのではないでしょうか、だから春になって蛙や蛇が冬眠から目覚めて土の下から出てくる、というのはある意味でそういった地の底の魔物(もしくは死者)が出てくるというのを連想させたのかも知れません。この辺は勝手な推測。
 話の中で少年が「なかなか寝つかない」と言ってるのは、まあこのあたりが頭にあってのことです。男がふらふら惹かれたのもね。桜については語り始めると長くなるので、また思いついたら別に書きます。うん。


迷い雪
 キーワードはずばり、百鬼夜行。まんまだね(爆)

 「今昔物語」には百鬼夜行に行き会って、瘴気にあてられて寝込んだり死んだりって話があります。


朧なる
 この少年には今後も名前はつきません。正体不明、確定してるのはこれだけ。

 キーワードは、満月、丑三つ時、辻、ってところですか。

 満月、に限らず月の満ち干ですね。満月新月って、殺人事件とか交通事故とか多いらしい。新生児の出生率も高いとか、人の死亡率への影響ってのもあったかな。
 月の光を忌避するっていう習慣があったのは本当です。私が知ってるのは昔の中国での例ですが、けっこう徹底的に避けたみたいです。月光浴なんてもってのほか。日本にもあったかな? 他の地域でも同様の風習はあったらしいですが。思い出したんですけど、エスキモーの昔話で、あんまり月を見ていてはいけないよと言われていた少女が《月》に攫われてしまう話を読んだことがあります。
 英語でも「狂気」のことを「lunatic」と言うってことは、月と狂気(精神の不均衡)に因果関係があるとされていたことを示してのでしょうし、だからこそ月光を避けるというのに繋がったんじゃないでしょうか。

 丑三つ時は言うまでもないか。ところで、人間の体温ってだいたいこの午前2〜3時くらいにすとんと下がるんですよね、身体を休め寝ているべき時間だって言ってるみたいに。徹夜してると結構はっきり自覚できます。こんなのを感じると、丑三つ時って、全然意味がないわけでもないのかなと思うわけです。

 辻、というのは道と道が交差する場所、異界への口が開く場所でもあります。人以外の存在が姿を現したりすれちがったりする場所です。まあだから《辻占》なんてのがあるわけです。懐に鏡を入れて辻に立って通り過ぎる人たちのもらした言葉から占うやり方ですけど、これって結局、通り過ぎる人間の中に混じっている人以外のもの(神とか魔とかそんなもの)の言葉を拾う方法ですよね。

 あとタイトルに使ってる漢字は思わせぶりな方向でとっていただければ嬉しいかと(笑)