035 : 髪の長い女



 昼を過ぎる頃に降り始めた雨は、陽が落ちるとさらに激しくなった。


 雨の中で女が泣いてる。
 帰り道の途中にある小さな公園、目に留まった中途半端にありきたりな光景に声をかけるか素通りするかいつものように迷った。いや、素通りするべきなんだろうけど。
 でも、さ。
 雨の中で女は泣いてる。
 噴水の縁に腰掛けて声も無く、涙なのかそれともほんとは雨なんだかわからないくらい、頬をすっかりびしょ濡れにして。
 傘の下に居ても、雨はけっこう冷たい。雨の中に居れば、きっともっと冷たい。
 水はけの悪い足下はドロドロで、ぐちゃぐちゃと靴底にはりついて音を立てる。女の前に立って傘を差しかけたものの、彼女はぴくりとも動かなかった。気づいてない、たぶん、見えてさえいない。
 力なく膝の上に投げ出された手も、それでいてすっと伸びた背中も、ほんの少しだけ傾げられた頭も、どれもみな人形じみて見えた。土砂降りの雨のせいがあるんだろう、放棄されたモノみたいなこの印象は。
 皮肉なほどに艶を増して見える濡れ髪は長く黒く顔を覆い、背中に流れ、血の気が失せた肌に映えた。女の目はやはり虚ろで、或いは人形の方が生き生きとして見えるかもしれない。
 どうしようかね。かける言葉は別に無い。ただこうして一緒に傘の下に居て、せめて彼女がそのことに気づいてくれればそれで、目的の全てが済むんだけど。
 気づきやしないだろう。わかるってよりも、知ってる。こんな風に泣いたことが自分にもあったし、何よりもこの光景は初めてじゃない。

 初めてじゃないんだ。

 傘をさしかけても雨は降り続け、傘の下で泣き続ける彼女を濡らす。
 彼女の肌は白々と透き通って、黒々とわずかな隙間さえ残さず濡れそぼつ石縁をぼんやりと霞ませる。
 なにもわざわざ雨の日を選んで現れることもないと思うのだが、彼女はいつも雨の中に居て、雨の中で泣いているのだ。
 ここを通るようになってからもう何度、目にしただろう。
 何度こうして、傘を差しかけたことだろう。


 君にだけ降る雨をさえぎることはできないけれど、触れることさえかなわない僕だから、せめてこの雨には傘を、君のために。
 でも、さ。
 いつかは顔を上げて、涙を止めて。
 いつまでも冷たい雨の中になんかいないで。
 君がここにいたことも君の悲しみも、僕はちゃんと見ていたから。

 おぼえておくから。


(2003.8.24)






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