036 : きょうだい



 ああしまった、ここは。


 部屋の扉を閉めるや否や、軽率な行動を深く悔やんだ。
 後ろ手に、弾けんばかりの音を立てて勢いよく閉じた襖は柱との間にほんの少しの隙間を作り、忍び入った日差しは照明器具の無い部屋に薄ぼんやりと拡散する。それ以外の明かりはここに無い。
 壁と壁と壁と入り口。三方の壁は背が高く端々の磨耗し歪んだ箪笥や棚で埋められている、どれほどきちんと掃除をしても埃っぽさ黴くささの抜けない物置部屋。風も匂いも色も音も光も何もかも、在るもの全てが淀んでいる。
 小さい頃からここが嫌いだ。
 違う、厭なのは部屋にある、あれだ。
 真正面に。元は美麗だったのだろう繊細で手の込んだ装飾が薄闇の中、いっそ物悲しいまでにいたるところ細かな傷に覆われ、くすんでいる。よくよく見れば極めて質のいい着物地は祖母の古着を解いたものか、すっかり色褪せて埃避けのために上半分を覆っている。
 年月を経た布の下には、鏡面があると知っている。
 その表面もやはりくすんでいるのだ、それも知っている。滑らかな表面の手触りはそのままに、だが鏡もまた歳月を経て古び、埃を避けたところで対するものを鮮明に映し出すことは難しい。
 無意識に触れた腕にはぶつぶつと目にも明らかに鳥肌が立っていた。思わず苦笑いを浮かべて背後の襖の取っ手に手をかけ、だが。
 ガタガタと、壊してしまえとの気持ちさえ抱えて力をかけても開かない。たぶん、向き直ってやれば案外楽に動かすことができるのだろう、でも。
 あれに背中を向けるのは。
 薄闇の中に、それは奇妙に目を引きいつも何かが鏡面の、向こうから。
 だってもうずっと昔、あの人は飲み込まれていったあの中に。他の人間はみなその存在を忘れてしまったけれど、間違いなく。
 それともいなかったのだろうか、あの人は。不在に違和感を感じているのはずっと私一人、いなくなったことを皆が忘れたのか、それともいない人を居たと私だけが思いこんできたのか。
 それでもだ、もし入っていったのならばいずれは出てくるのが道理だろう。しかし一度、人の世界とは異なる場所に属する場を変えたものが、そのまま戻ってくることができるものだろうか?
 今一度戻ってきたとしてそれは昔のあの人と同じもの、なのだろうか。
 首の後ろに走る悪寒。
 だってああほらふわりと、覆い布が揺れてるじゃないか。
 揺れてるじゃないか、内側から溢れる何かを受けて。


 ああしまった、どうしてこの部屋に今。
 


(2003.8.15)






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