055 : 砂礫王国



 丘の上に一人。
 幼い頃、吟遊詩人の歌声に誘われ夢見た国に立つ彼の、口元には皮肉な微笑みだけがあった。
 大陸一と称えられた駿馬を全速で駆りたて、最後の供を完全に振り切ったのは川を渉ってすぐ。そうして何年ぶりかわからぬくらい久方ぶりに一人になった。
 原型を留めぬ瓦礫が成した丘を、愛馬の足を気づかいながら頂上まで登りきる。視線を遮るもののない風景はいっそ痛快なほど、徹底的な崩壊の様を晒していた。
 人影無く。もはや煙一筋さえ上がらぬ。
 だがここにはほんの少し前までひとつの大きな国が、国を統べる都があったのだ。


「…ジィン」
 呼ぶやザワリと彼の周囲に風が巻き上がり、中空にひとつの人型をとった。黒い一枚布で包まれたようなその内側から、異形の眼差しが彼を見つめた。
 人の感情に準えるならば、慈しみに似た眼差し。
 彼はだがその唐突な現出に驚くでも、またふり返るでもなく眼前をすいと指差し。
「おまえ、この国が在った時の姿を知っているかい?」
『ハイ』
「では見せてみよ。ここからの風景を、私は見たい」
『仰セノトオリニ』
 黒い人型はぶわりと長い髪を拡散させて風に交じり、一瞬の後そこには。
 かつて人を集めて永く栄え。大陸一帯にその名を広く知らしめた栄華の結晶たる麗しの都が。
 遠方から選び抜かれ運ばれてきた白色と薄紅色の石を、積み重ね、削り磨きして造り上げられた都市が。
 在りし日の賑わいをもそのままに地の表を覆い尽くしていた。
 街路には天幕が連なり、人波が溢れこぼれ。処々に配された木々は色濃く緑の木陰を生み、酷暑を癒す水の滾々と湧き出す井戸を囲む。
 住民も旅人も隔てなく声を交わし、大陸中の品々が惜しげもなく広げ並べられている。女たちは艶めかしくやさしく、男たちは開けっぴろげで朗らか。角々には吟遊詩人が自慢の喉を揮わせて。
 あらゆるものを迎えもてなす美しの都と呼ばれていた。

 精霊憑きを除いては。

「ジィン。ここはおまえたちの国にするといい」
 物憂げな表情を隠しもせず、やがてもうよいと手を振ってかつて手酷く拒絶された都の幻影を消させた彼は、彼の精霊に微笑みかけてそう言った。
「五十年もあれば、精霊を蔑み拒み続けたこの土地も多少居心地よくなろう。私の命のあるうちはまあ、人の出入りの制限は楽だろうさ」
『全テ、仰セノトオリニ、我ガ主』
 精霊はいつものように応え、生まれ出でるより前から常に傍らで守護し続けてきた主を、形無き腕でそっと抱きしめた。
 愛しき砂礫の国の王を。


(2003.3.30)






/BACK/