不 香 の 花



 ようやく受話器に手が届いたのは、コールが十回を越えたあたり。夜遅くのご近所さんには大分迷惑だっただろうけど、ま、勘弁してもらおう。これでも玄関 から全速移動したんだから。
「はい?」
『あんた、親友さまの結婚式に出席しないって、どういう了見よ?」
「あら、ミカ。届いた?」
『届いたから電話してんじゃないの!』
 声を出さずに笑ってストーブに火を入れた。すぐにコートを脱ぐかどうかは迷う室温だ。
 嫌いな携帯電話は仕事専用、ってことで帰宅と同時にマナーモード、今は充電器の上にある。プライベートは基本的に自宅電話にかけてって、教えてある人間 はほんの数人だけど。だから安心して取れるってわけだ。
「決算期に結婚式挙げるあんたが悪いんでしょ」
『だからちゃんと日曜日にしたでしょ』
「なんとまあその時期は休日出勤確定してんのさ。しかもサービス出勤。う゛ーっ!」
『そんなの休んじゃえ』
「ばっか」
 補充する暇がろくに無い冷蔵庫の中はお見事にすっからかん。ヤバイな、温めるご飯ももう無いわ。仕方ないから酒瓶とチーズを取り出して、ストーブの前に 戻る。ああ、そろそろ灯油も買わないとなんないわね。財布ん中ちと危ないなあ、まったく腹立つ値段が続くよ。
 コンビニサラダの蓋を開ける音が聞こえたのか、電話の向こうでミカが膨れた気配。
『聞いてる?』
「聞いてる。お腹も減ってる」
『こんな時間じゃ太るわよ』
「太ってる暇もなーいのよー」
『う゛ーっ!』
 これはこれは。ウェディングドレスのサイズで四苦八苦してるのかしらね。そのまんまが一番かわいいって、いくら言っても気になるらしい。花婿さんだって ふっくらしてるのがいいよって常々力説してるのに、まったく。
「いいじゃない。あんたはこれから席順決めるのでげーっそり痩せちゃうんだよ。ああ、でも胸は大事にしなさいね、胸は」
『うわ、むーかーつーくーぅっ!!』
 少しずつお酒が効いてきた。部屋はまだ寒いけど、これくらいならまあ我慢出来なくもない。
 ストーブの逆方向からひんやりとした空気が滲むように触れてくる。カーテンを閉め忘れてることにそれで気がついた。
 ってか、律義に毎朝開けてるのか、私。気づかんかったよ、今の今まで。習慣ってコワい。
 そういえば、こうしてミカと話すのはずいぶん久しぶりだった。留守電で声だけは聞いてたけど。携帯電話で話すのが嫌いだって知ってるから、律義にこっち にしかかけてこない。愛いやつめ。
 分厚い毛糸のカーディガンを羽織って、ようやく長電話モード準備完了。こんな時間にかけてくるってことは、あっちもそのつもりだろうからね。幸いにも明 日はちゃんと休める休日。……休めない休日って、字面で終わってるよ。
 ともかく食事を優先させてくれるらしい。これ幸いと相槌だけですませてると、ひたすら結婚式の準備の話が続く。しっかし、聞いてるだけで滅入りそうだね え式の打ち合わせってやつは。
『もうさあ、親の意見が一番めんどくさい。言っちゃ悪いけどね、資金援助してもらってる手前』
「ふうん」
『親戚一同と親しい人やお世話になった人へのお披露目、ってのはわかるのよ。そのくらいは世間様の常識ってもんだし。でもね、どーしてそこで「もっとたく さん呼びなさい」になるのかがわかんないのよね。朝の挨拶くらいしかしないようなご近所の人までお義理で呼び集めてむやみに規模だけ大きくしたって、やた らじょーちょーで退屈な披露宴になるだけじゃない。なぁんで多く呼ぶことだけにこだわるかなぁ?』
 冗長って、多分ひらがなだったぞ、今の。無理して使うなよ、もう。
「どっちの親よ、それ?」
『腹立つことに両方! しっかも「あなたたちに任せるから、好きなようにしなさい」とか言っといて、いざ私たちの好きなように決めると「なんでそんなふう にしたの?」って言うの。なによそれ、だったら最初からそんなふうに言わないでよね! 叫びそうになったわよ』
「そりゃ大変だこと」
『ま、それでも私はまだましな方らしいけど。シンが絶対に私の味方してくれるもの。仕事が忙しいから花嫁に任せっきり、親との交渉も任せきり、文句には知 らんぷりってな花婿が多いらしいよ。結婚前の喧嘩の原因ベスト3に入るってさ』
「こりゃこりゃ、愚痴なら聞いたげるけど、惚気は飽きたって前にも言ったでしょ」
『いいから聞きなさい。……食べ終わった?』
「もう酒しか残ってない」
『うわ、やっぱり飲んでるんだ。瓶で』
「当然でしょ。明日、久々にちゃんと休めるんだもん。呑まんでどうする」
『荒れてるー。部屋の中、ぐっちゃんぐっちゃんにしてるんじゃないの?』
「ぐっちょんぐっちょんにする暇もないよ」
『やな生活してるねえ』
「言うなって。自分でもうんざりしてるんだから」
『じゃあ、やっぱり結婚式に来るのは無理そう?』
「いかにも三、四日徹夜してきましたってなぼろぼろゾンビでよろしけりゃ、もしかしたら一、二時間顔を出しに行ける可能性が無いわけじゃないかもしれなく もない」
『やだ、あんたはちゃんとかっこよくなきゃだぁーめ』
「んな贅沢だぁーめ」
 意味があるんだかないんだかわかんないおしゃべりは楽しい。それが気の置けない親友ならなおさら。目的がどっかに行ってとりとめのないまま、半分以上は 笑ってるだけの電話を一時間ばかり続けてから『またね』で受話器を置いた。
 お風呂に入ろうと思ったけど、転がした空き瓶を見てさすがに呑みすぎに気づく。溺れるわ。いやそれ以前の問題かな、お湯張ってる間に眠りそう。とりあえ ずシャワーで汗だけ流すことにする。この季節、寒いから嫌なんだけど髪も化粧も気持ち悪い。う゛ーっ!
 烏の行水よりはましってあたりで切り上げると、部屋にでかい図体がひとつ増えてた。
「いつ来たのよ」
「今。電話してたろ」
「あれ、かけたの?」
「かかってきたの。あんたが甲斐性なしだから、結婚式に出てもらえないんだーってさ。苛められたぜぇ」
「うーわ。あやつ何時だと思ってんだか」
「平日朝四時とかよりゃましだって」
 妙に具体的……あったんか。
「比べられるもんなの、それって?」
「比べられなくはないでしょ」
 バスタオルを取り上げられて頭をぐしゃぐしゃにされた。大笑いするとさらに揺すぶられる。なんかテンション上がっちゃってるよ、私。どうしよ。
「呑んでたってことは、明日休めるのか?」
「久々にね」
 背中から抱き締められる。ふむ。やっぱ基礎体温が違うわ。あったかい。そのままひっくりかえろうとしたら、勢いよくふり回された。
「ストーブ危ないって」
「じゃ、暴れるなって」
 キス、キス、キス。こいつのキスは気持ちいい。今かなり酒臭いはずなんだけどね、私のキス。ま、いつものことか、で、思い切り、キス。
 明かり消して、甘やかして甘やかされて、ちょっと落ち着く。ぎゅって抱き着くと、笑い声が肌から響いた。なんでしょかね、この、ものすごくやさしくされ てる感じ。
「さみしい?」
「……かも。しょーがないけどね」
 ついつい頬擦り。いつも思うけど、こいつ体毛薄すぎ。濃いの好きじゃないから都合いいけど、いつか試しにすね毛全部剃ってやろ。あんまり変わらなくてつ まんないかな。ミカと二人で企んだこともあったっけね。寝てるとこでかまえてたら寸前で起きられてばれたんだった。
「そんでどうなんだ? 本当にどうしても行けねーの?」
「んー。かなり無理すれば行けなくもない、んじゃないかと思わなくもない、かも? 今のすぐ上の上司が全っ然使えないんで、ナゼか私のチェックが最終関 門。迷子の一円に泣き笑いよ。正直、前日まで予測不可能デス」
「行ってやれば?」
「キスしちゃうかもー」
「いいねぇ。やっちまえ」
「『卒業』っぽくカモーンって?」
「時刻表調べとけ。バス来ないとマヌケだから」
 そういえば高校のとき、三人でビデオ見たなあ。ミカは目をうるうるさせて感動してた。私はなんで乗り合いバスかねぇとか思ってた。懐かしい。
 カーテンの隙間で白いものがちらつく。
 窓を開けた。薄明るい雲から真っ白な雪が次々に降りてくる。そりゃ冷えるわけだ。
「寒くねえの?」
「寒い」
 肩を竦める気配、それだけ。放っておいてくれるらしい。安心して空を見上げた。
 雪が降る。真っ白な花が。私の気持ちにちょっと似てる。
 昔々。
 ミカは、いつか死ぬんなら花に埋もれて死にたいって言ってた。たくさんの色、甘い香りに包まれて眠りたいって。
 私だったら雪がいい。冷たくて儚い、やさしさと残酷さで均等に花びらを形作ってる雪が。たくさんの色なんていらない。香りなんてなくていい。かなわない 気持ちごと凍らせてくれる雪がいい。
 恋と執着の違いなんて、今だってよくわからない。
 でももし今夜この世界が終わるなら、たぶんこのままミカのとこまで走ってく。あの子と手をつないでいられたら、世界が終わることなんて別にどうでもよく なるだろう。
 しんと静か。雪が降ってるから。世界はまだしばらく終わりそうになくて、朝までに少し積もるだろう。
 背中から抱き締められた。すっかり冷えてるのに何も言わない。変わり者のくせに、ああ、あったかいや。
「……寝よか」
「目覚まし、止めてあるか?」
「…………危なかったわ」
 窓を閉める。外は雪。明日は休日。
 来週からまたバカみたいに忙しくなってくんだろうけど。
「しっかたない。何とかするか」
 かわいいあの子の晴れ姿を見に、結婚式には行ってやろうと、思った。







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