竜 の 眠 り




 (なあ。こんな話を知っているか?)

 青年はふらりと頭を傾けた。
 夜は深く、酒場の喧噪はどことなく湿り気を帯び、派手やかさよりも物憂さの方が勝っている。酒気を帯びた人の群れは孤独で、誰も周囲のことなど気にもとめない。場末のこんな酒場では、なお。

 (なあ。こんな話を知っているか?)

 くりかえし酒に掠れた声をかけてくるのは、薄汚れ、風采のあがらぬ初老の男だった。しっかりとジョッキを抱える両手は、一時として小刻みな震えを止めない。いつの間に居座ったものか、年代物と言うか単に古いカウンターの隅、暗がりに紛れるように座っていた彼の隣で、上目使いに笑う。

 (この町は、竜の上にあるんだ)

 言って、男はジョッキの縁に唇を押し付けるように、酒を含んだ。
 饐えたような匂いのするそれは、決して特別旨い酒ではない。そもそも質が良くないのか、或いは管理が悪いのか。そんな安酒をありがたそうに男はすすり飲む。
 背を丸め、落ち着きのない雰囲気。誰も相手をせぬのだろう。見慣れぬよそ者に声をかけるほど。

 (この町の地下にはな、昔っから一匹の、でっかい竜が住んでんのさ。あちらこちらと延びた洞窟を、気まぐれに行ったり来たりしながらな。絶対に地下からは出ねえんだ。光が嫌いなんだとよ。
 そいつはな、宝もんを、えらく深ぁいところに大事に大事にしまい込んで、抱え込んで、それを狙って入り込んでくる人やら迷い込んでくる獣やらを、人間が虫でも殺すようにみしりみしりと踏み潰しちまうんだ。
 ああ、そいつは本当にやたらとでかい竜なんだ。そんなのが狭い洞窟を無理矢理動き回るのさ。何でわかるって? ここらの地震が、隣の町に比べて何倍も多いってのは、聞いたこたぁねえかい。ありゃな、竜がうろつきまわってるのさ。
 俺ぁ、見たんだ)

 (つきあいがいいんだねえ、ダンナ)

 ふいに明るい女の声がした。先刻からしきりに店の中を行き来していた、店の女だ。若くも美人でもないが、赤く塗られた分厚い唇に崩れたような色気がある。下げた酒杯をカウンターに置き、憐れむように男を見た。

 (このおやじはねぇ、酔ってないことなんか、ほんのちょっとも無いんですよ。四六時中、こうやって顔真っ赤にして、べろべろに飲んだくれてるのさ。今みたいにバカな与太を飛ばしながらねぇ。律義につきあうことなんてないんですよ)

 (与太じゃねえ! オレぁ見たんだ、でっけえ竜が洞窟の暗い奥に消えてくのをよぉ)

 男は憤然と言い返し、女は取り合わずに笑った。

 (見たのか?)

 問うたのは、青年だった。低く暗く、感情の見えぬ声で。
 だが意を得たとばかりに眼を輝かせる男には、そんなことは一切構わぬことであるようだ。身を乗り出して頭を振る。

 (ああ、見たさ。見たんだよオレは、間違いねえ、あんなでっかい生き物が、いったい他にあるもんかよ)

 (いつ見たって言うのさ)

 (ずっと昔よ。ずっとずうぅっと、オレが若かったころになぁ)

 女の、疑っていると言わんばかりの合いの手に、頬を歪めて言い返し、男は残り少ない酒を惜しむように口にした。

 (へへ…。まだガキみてえに若かった。力も度胸もあったし、一緒にむちゃしようってな仲間もいた。そいつらと酒を飲んでいたときさ。ちっさいガキのころ聞かされた竜の話を、確かめてみようって話になった。
 一人が、町の外れの穴のことを言い出した。岩山のはしっこにある。遊んでた時に見つけた場所らしいんだが、そこから時々、何かごうごうってな音がすると言うのさ。たいがいそんな時ってのは、小さく地面が揺れてたりしたんだと。
 さすがに夜中にそのまんま行こうってのは無しになってよ、穴の中に入っちまえば一緒だろうが、酒飲んで岩山上りたかねえわな。別の日の昼間にそこに行ったんさ。
 四人だったかな。入り口は、腰をかがめて入るくらい、そっからぐねぐね細い洞窟がゆっくり下っていた。奥になるほど穴の形は落ち着いて、壁のでこぼこが少なくなった。そのうちぐっと急に下ったかと思うと、ふたまわりも大っきな穴とぶつかってな、歩きやすいんでそっちを選んだ。ま、変わり映えはしなかった。
 所詮は肝試しみたいなもんだったからよ、適当なとこで引き返そうぜってな話が出た、ちょうどそん時さ。遠くの方で、ごう、ごうって音がしたんだ。ずりずりって、壁をこするような音と一緒にな。それってんでそっちに向かった。
 もっとも、穴の中だ。音が響きまくって、どっちっから聞こえてきた音なのか、ちょっと動いただけでわからなくなっちまう。そっちだあっちだとわめき合ってるうちに、ぽつんと、気づいたら一人になっちまってた。仲間の声はちょいちょい聞こえても、どう行ったらそこに着けるのかわかんねえ。びくびくしながら明かりを頼りに歩いたさ。
 なるべく上りの道を選んでたつもりだったんだが、いつの間にか下りに変わっちまってて、今更しかたねえってそのまま進んでった。
そしたらよ、あったのさ、それが)

 (何がだよ?)

 (お宝さ。まじりっけなしのお宝の山が、そこにあったのさ。唐突に広い空間にぶつかって、突き出した明かりでキラッキラ光ってた。赤に青に…いや、ありったけの色をぶちまけたみたいになってんの見て、びびってたのもすっかり忘れた。飛び込んで、詰め込めるだけポケットや隠しや、入れておける場所に突っ込んだ。まるっきりの宝石ばっかりで、職人の作った飾り物みたいなんは無かったが、まあ、あったって運べやしねえから、気にもしなかったし、持てるだけ持って帰れば、一生遊んで暮らせらぁってなもんだ。
 そう、こうなったら、後は帰るだけだ。入って来たのとは別の穴を選んでそこをよじ登った。いや、ひでえ急な上りだったんでな、荷物も増えてたし辛かったが、こっちだって帰れるかどうかってんで必死だ。どのくらいもがいてたのか知らねえが、まあ、何とか平らな辺りまで上り着いた。
 そこらでまた音がしたのさ。ごう、ごう、ずる、ずるってな。そんで他の声も聞こえた。何か騒ぎまくってる、仲間らの声さ。まっすぐは無理でも、それを頼りに進んで行くと、また別の穴とぶつかった。
 でっかい穴さ。人が縦に四、五人も並んだような幅と高さがあって、今までよりずっと、ああ、なんっつうか、生臭かった。生き物の臭いだ。それまで通って来たのがもう使ってない古い道で、こっちは真新しい、今もしょっちゅう使ってる道、ってな違いだ。
 その右手側から、明かりのちっさな点がふたっつ、だんだん近づいてくるのがわかった。俺は慌ててそこに飛び降りて、そっちに向かって走ってった。当然だろ、仲間以外にいるわきゃねえもんよ。けどよ、ちょっと走ってるうちに、妙なことに気が付いた。ごう、ごうってな音も近づいて来んのさ。それも間接的なんじゃなく、こう、今まさにこの穴の中をよ、明かりの向かってくる方からだ。
 生臭い臭いが濃くなって、地面が震えた。なんかものすごく重いものが動いてる、そう感じた。
 こりゃ、やべえってな)

 身を乗り出して語る男の目に、恐怖があった。手が震え、指先がジョッキをきつく握り締め、口の方から酒を飲みに動いた。

 (足が止まった。そうすると、地面が揺れてるのがはっきりわかった。穴を削り取るような、ずる、ずるって音が、揺れと同時に周りを震わせていた。
 こりゃ、やべえ。何かが近づいてくんのさ。でっけえ穴いっぱいに身体を詰め込んで、地面を揺らすような大っきな、何かがよ。
 俺は逃げ出した。今来たばっかりの方向に全速力で走りだした。持ってた明かりが消えねえかびびったけどよ、目の前に突き出して、上に、地上に出そうな穴を探しながら、思いっきり走った。
 後ろからはごう、ごう、ってな音と、仲間らの声が時々聞こえた。俺は、足の早い方じゃねえ。時々振り向くと、その度に明かりがひとつ近くなってた。
 もうどうしようかって思うくらい足がだるくなった頃だ、前の方で道が二つに別れてんのにぶつかった。どっちも大きさは同じくらいで、一方は上り坂。俺はそっちを選んだ。すぐに急な上りになって、少し進んだ所で頭の高さくらいの位置に小さな脇穴があった。人が一人、身をかがめて通れるくらいの大きさの穴だ。後ろの音は近づいていた。どんどん大きくなってくる。別れ道のこちら側を選んだんだ。
 当然、よじ登った。間にあわねえかと思った。そんでも何とかなったもんだ。上り坂になってる奥の方に這いずるみてえに身体を押し上げ、押し上げしてほっとしてたら、…そいつが来た)

 語る男の双眸には底無き混沌が渦を巻き、そこに時折兆す正気がかえってその理性を疑わせる。酔いと区別のつかぬ正気など、面倒なことこの上ない。泥酔していてさえすっかりとは消え去らぬそれは、一体何が源なのか。
 身を震わせた女とは対照的なほどに反応薄く、青年は自分の酒杯を傾けて、話の続きを無感動に促した。

 (ごう、ごう、ざり、ざり、ずる、ずる、ごう、ごう…
 天井が落ちてくるんじゃねえかと思った。明かりを抱えて、身体をこう小さく丸めるようにしてんのがやっとで、けど、大きな穴に通じてる方から目は離せなかった。
 その穴の縁に、ひょっと手がかかった。よじ登ろうとしてんのさ。顔も見えた。仲間の一人だ。ひでえ疲れた引きつったような表情で、俺を見て驚く前に、助けろって、口が動くのが見えた。
 見えただけだ。
 ずる、ずる、ごう、ごう…
 大きな穴を何かが通り過ぎてった。馬鹿みてえにでかい何かが、穴いっぱいの身体を引きずって通り過ぎてった。
 仲間の身体も一緒に引きずってった。
 持ってた明かりが、そんなに明るいもんじゃなかったのは、よかったのかもな。じゃなけりゃ、ちょっとも動けなくなってただろうよ。
 そいつの身体が全部通り過ぎた後で、穴の縁からちっとだけ覗いて見た。仲間の身体はどこにも見えなかった。土と似た色の皮膚がうねって、暗い穴の奥に消えてった。
 後はよくおぼえてねえ。ただひたすら歩いてるうちに地面に近いとこまで上ってたんだろ。外に出たら、日が沈むところだった。
 思い出して、持ち出したはずの宝石を出そうとしたら、ボロボロになった服が全部穴の中に落として来たらしい。残ってたのはひとつだけ、小さな小さな、紅玉だけだった。人の血を固めたみてえな、真っ赤な石だ、よりによってよ。
 仲間は、一人も帰って来なかった。みんな、あのでけえヤツに、潰されちまったんだろ。町の下をうろつきまわってる、竜に、な)

 語り終え、男は口を噤んだ。酒に潤んだ目には、先の混沌はもう無い。
 女は酒飲みの与太と割り切ったのだろう、大きくため息をつくとやれやれといった表情で苦笑いしていた。

 (この町の門は、いつ開く?)

 窓を締め切った建物の中にいては普通、正確な時間などわかりにくいものだが、青年はまるで肌で感じていたかのように、女にそれを尋ねた。朝一番に町を出立するつもりで、ここで夜明かししていたらしい。

 (一番鶏が鳴いたら、門番が開けますよ。今から準備したら、ちょうど開くころに門に着くくらいでしょうね)

 答えに微かに頷いて、青年は酒杯を干して立ち上がった。旅装の裾から、腰に下げた剣の鞘がこぼれ見える。
 男も女も動きにつられ、思わずその堂々とした長身を見上げた。
 座っていた間はさほど意識されなかった体格が、青年が剣に相応しい使い手であることをそれとなく知らしめる。畑を耕したり、物を売ったりするような人間ではない。
 帰る場所なく彷徨い続け、剣を手に闘いを続ける者の姿だと。

 (ダンナの剣、立派だねえ。そんくらい立派な代物なら、ちゃんとした銘もあるんでしょう。よけりゃ聞かしてくんないかい?)

 気を取り直したのだろうか。興味津々の様子を隠さず女は尋いた。青年は腰に下げたままの剣の柄を慈しむように撫で、低い声で答えた。

 (慣例に従うのならば、ドラゴンスレイヤーと、呼ぶのだろうな)

 静かな声に、威圧されたように言葉をなくした二人の前で、青年の手が、カウンターの上に一掴みのコインを置いた。

 (飲むといい。…礼だ。おもしろい話の)

 言葉も無く、男と女は青年の背中を見送った。
 男の話に耳を傾けながら飲み干した酒量にもかかわらず、酒場を後にする青年の足取りに、酔いの気配はいささかも無かった。
 厩から預けておいた黒馬を引き出す。鞍を乗せて轡をかませ、少ない荷を着けて準備がすっかり整うと、青年は馬の首をそっと撫でおろし、低い声で呟いた。

 (なあ、こんな話を、知っているか?)

夜明け前の町に人の姿は無い。男はゆっくりと手綱を引いた。

 (この町の下では、一匹の竜が腐っている。
 手は無く、足も無く、恐らくは目も耳も無いだろう。あるのはただ触覚と、もしかしたら嗅覚、それらの存在を圧倒する、有るものすべてを咀嚼する大きな口。長い体をくねらせながら前進する、地の下の生き物だ。
 そいつは地中を気ままに掘って、掘って、掘りまくっていた。もうずっと長い、長い、長い間、考えることもせずにひたすら、ただ喰って、掘って、掘りまわっていた。
 ここらには、そいつ以外はいなかった。外にはあまり餌も無かった。だからそいつはこの町の下を掘って、掘って、掘りまわった。長い長い時間を過ごして、そうして随分と馬鹿でかい生き物になっていたのさ。
 そいつは何でもかんでも口に入れ、どれこれかまわず喰らうのさ。生きた物もそうでない物も、土や石ころなんかも、口に入ればそれでいい。かと思えば、気ままに動き回りながら、律義に排泄物は決まった所へ集める。そこには消化しきれなかったものが溜まることになる。まわりにこびりついていた石くれの取れた、宝石とかの類だ。集めているわけではない、喰えない物に興味は無いからな。だが人の目には、まるで宝物を集めているように見えるだろう、地の下の宝石の寝床と。
 そいつが、腐っているんだよ。何かの約束のように町の、真下でな。
 大きな大きな体だ、すっかり腐ってしまうまでは、長い時間がかかるだろう。それでもいつかはすっかりと腐る。腐って、そこには馬鹿でかい空洞が残る。
 いつか町の住人一人残らず、知るだろうさ。みしみしと、足の下、地の中深い場所で音を立てる何かを)

 滑らかな、慣れた動作で男の長身は馬の背の上にあった。身震いするようにマントの裾を払うと、折よく吹いた風をはらんで、一瞬ふわりと舞い上がる。

 (ああ、確かにそれは、竜と名付けるに相応しい生き物の、抜け殻だ)

 こぼれるように大きな剣の鞘が見えた。
 確かにドラゴンスレイヤーと名付けられるに相応しい。
 名に相応しい働きを成した剣。

 (いつか、どこか遠い別の町で、崩壊した町の名を知ることになるだろう)

 青年はそうしてちらりと笑った。

(了)






/BACK/