雷 雨




 宿屋《楽鳥亭》は、ちょうど東と南と西へ伸びる大きめの街道がぶつかり合っている辺りにある。
 分岐点にあたっていることもあり、よく管理されているこの街道を利用する旅人は当然多い。そうした彼ら目当ての主要な宿屋が集まっている中心部から、この宿屋は多少離れた場所にあった。店構えも目立って立派でも新しくもない。そのためあふれるほど客の数が多いということはないが、一階の酒場に主人の好みで選んだ美味い酒が揃っているので、それ目当ての常連客は少なくない。
 旅商人のロウも、その一人だった。少なくとも、酒場に顔を出すと、何か言う前に好みの酒と宿帳が一緒に出される程度には。


 《1》
 
 旅慣れた彼のような男でも、疲れた一日の終わりに気に入りの宿屋に無事到着できれば、やはりほっとする。夕陽に照らされて長い影をひく鮮やかな色彩で鳥を描いた看板は、彼にとってよく見慣れたものだ。その下にある店の扉を押し込むと、カウンターの一角でどうやら今から出発するらしい男の相手をしている宿屋の主人の長身が目に入った。主人のハク・ラクは頭を上げて客が見知った人間だと知ると、気安い笑みを向け声をかけた。
「いらっしゃい、ロウさん。お久しぶりですね」
「また世話になる。部屋は空いてるかい?」
「ええ。食事はどうしますか?」
「先にもらう。適当に頼むよ」
「わかりました」
 彼らが言葉を交わしている間に用件がすんだのだろう。空模様に似合わぬ、雨の中を旅するかのような重装備に身を包んだ男が宿を出て行った。
 出発に向いた時間でもない。気にならなくはなかったがとりあえず空腹の方が勝り、カウンターについて料理を待つ。火酒のリーチー水割りと一緒に出された宿帳に記入していると、不意にどおんっと地面が震えるような雷の音が鳴り響き、ほとんど同時に室内にいてもわかるほどの勢いで雨の降り始める音が聞こえた。
「……ああ、ついてないな、今の奴。出た途端に降られてやがる」
 何気なく呟いたロウに、名物の鳥肉のスープを運んで来た主人はいやいや、と首を振った。
「それが今日だけじゃないんですよ、実は」
「へえ?」
 思わせぶりに言った主人は、彼のあいづちにあわせるように声を落として言った。
「これで5日目なんですよ。あのお客さんが宿を出て行こうとすると、激しい雷つきで降り出すんです。ついてないにもほどがありますよ」
「もしかして、それでこんな晴れた日にも用心してあんな格好で出て行ったのか?」
「ええ、そうです。この様子だと、じきにまた戻って来ますよ。なにしろ毎回、目の前が見えなくて歩けなくなるほどの雷雨になるんですから」
 言葉に重なるように再び雷鳴が轟く。しっかり閉めてあった窓の隙間から鋭い光が差し込み、と同時に大太鼓を百も連打したような音がそれを追った。
「ここには落ちないだろうな?」
「大丈夫ですよ」
 あまりの激しさに思わず不安になったロウが主人に問うと、彼はにっこりと笑って請け負った。
「この宿を建てたときに知り合いの魔法使いに依頼して、落雷除けの魔法を屋根に上げておきましたから」


「それにしても、この辺りはそんなに雷が多かったか? オレは一度もかちあったことはなかったけどな」
「こんな酷いのは初めてですよ。毎日ってのもね。……聞いてますか?」
 軽く湯を通したサラダは辛めのドレッシングが絶品で、ロウは満足した猫のように目を細めている。
「聞いてるよ。しかし相変わらずいい腕だね、リンさんは。次に来るときにも別れないでいてくれよ」
「不吉なことを言わないでくださいね、ロウさん。それより、ここに来るまでの天気はどうでしたか?」
 今夜は他に客がいないらしい。お互いに手に入れ得る情報は出来る限り耳に入れようと努める習慣が身についている。ハクは磨き込まれたカウンターを挟んでロウの向かいに座り、話し込む様子を見せた。
「快晴だった。南の街道を来たんだが、つい先刻までは暑すぎもせず、寒くもなく、旅には絶好の天候が続いてたね」
「じゃあ、やっぱりここらだけですか、朝晩問わない急な雷雨が続いてるのは」
「案外、雷獣がいたりしてな」
「雷獣?」
 ため息をついたハクが、聞いたことがないという表情で問い返す。ロウは軽く頷いて、刻んだ香草が練り込まれたパンでスープを拭いながら、続けた。
「普通、ここらでは見ないからな。ただ、ここからずうっと東に行った、ハイシャンシの東端の方には結構よくいる幻獣だよ」
「どういう幻獣なんですか」
「あまり大きな獣じゃない。一遍だけ見たことがあるのは、ちょうど、そうだな、イタチみたいな大きさと形をしたヤツだ。いつも五、六匹程度の群で行動する。姿形には別に特徴的なところなんて無いけど、雷獣っていう名前の通りで、雷雨を呼ぶんだよ」
 滝のような土砂降りの雨は一向に止む気配を見せない。雨雲はまだ近くに居座り続けているらしく、雷が光り輝くとほぼ同時に地面ごとゆさぶるような雷鳴が轟いた。
「ちょうど今みたいな、激しい雷と雨と風。土地の連中に聞いたんだが、群れの雷獣同士があちらとこちらに別れて呼び交わしあうってふうに、交互に雷が鳴るんだと」
「迷惑な獣ですねぇ」
「それが一概にそうでもなくて、雷の多い年は豊作になるってんで、歓迎するところは多いらしいんだな」
「へえ……」
「但し、もっと北の方には別に、迷惑な被害のあるタイプの、やっぱり雷獣って呼ばれてる幻獣がいて、そっちは敬遠されてる。いろんな種類の動物の外見を混ぜたみたいな格好なんだって話だが、見てないから本当かどうかは知らない」
「ふうん、そうなんですか……」
 感心したようにハクが呟いた後に、ふと、言葉が途切れた。


 《2》

 ばたんっと、大きな音をたてて入り口の戸が開いた。二人同時に視線を向けるや否や、間髪おかず青白い閃光が走り、耳をつんざく豪音が轟いた。暗い影のような男は全身濡れそぼり、力無く項垂れ、後ろ手に戸を閉めた。わずかに雨音が遠のく。
「おかえりなさい」
「……すまんが、もう一泊頼む」
「どうぞ」
 ハクが急ぐ様子もなくカウンターを出て行く。いつの間にかタオルを手にしているのは流石であった。
 戸口で雨具を脱いだ男の顔は三十代後半あたり。薄暗い店内で、どことなくおどおどとした表情がいっそう強調されて見えた。机に一人座りタオルに顔を埋めている様子にも、ひどく憔悴していることが知れた。心情を映すかのように、足元には水たまりができている。
「…………どうすりゃいいんだろ」
 長い長い沈黙の後の男の呟きが、一瞬弱まった雨音をついて店内にこぼれた。
「あのさぁ」
 突然声をかけられたことに驚いたのか、男はびくりと大きく肩をゆらし、ゆっくりと顔を上げた。ロウは男がしっかりと自分の方に顔を向けるまで待って、質問した。
「あのさ、もしかしてあんた、雷雨の続く理由に心当たりあったりするのかい?」
 ぎょっとした表情をしたのを見てとって、ロウはやっぱりなと頷いた。
「あ、オレは旅商人のロウ。ここの常連なんで、宿の主人とも顔なじみでね、さっき五日連続で雷雨に足止めされてるって話を聞いたんだ」
「……俺は、サンザ。幻獣使いだ」
「へえ、幻獣使いなんて、しばらくぶりに会ったな」
 世の中には、ごく稀に飛び抜けて幻獣と相性のいい者が存在する。幻獣使いというのはそういう人間のことを指す名前である。魔法使いと同様に生まれつきの能力に負うところが大きく、また能力にもばらつきはあるが、幻獣を捕まえることができ、或いは呼び寄せて簡単に言うことを聞かせることさえ可能な者もいる。そうして捕らえた幻獣のいくつかは見世物として、或いは愛玩品や宝飾品として都市に住む貴族などに珍重されている。
 ロウは彼らの幾人かと仕事上のつきあいがある。幻獣を捕らえておく入れ物として、質が良く多少の魔力を帯びている水晶や宝石類が最も適しているためだ。ロウが扱う石には、彼らが喜んで欲しがる類の物が多い。
 今、目の前にいるのはそういう人間の一人であるらしい。但し、見たところあまり能力は高くなさそうだと、ロウは心の中でこっそり呟いた。
「それで、心当たりは、何?」
「あんたにゃ関係ねぇだろ」
「いいや、そうでもない。オレは長く旅を続けてるからね、今後少しでも障害になりそうなことは、なるべく解決しておくように心掛けてるんだ」
 堂々と言いきり、にっこりと人好きのする顔で笑った。
「いいから、話してみれば? もしかしたら、見落としていた解決策が見つかるかもしれないだろう?」
 勢いに押されたのか男は反論の言葉を飲み込んだ。或いは藁にもすがる思いだったのかも知れない。しばらくはそのまま黙り込んでいたが、彼の目の前にハクが置いていった温めた葡萄酒に口をつけると、ようやく重たい口を開いた。
「…………捕まえた幻獣を、逃がしちまった。その所為だろ」


「東の街道の、ここからそんなに遠い場所じゃねぇ。盗賊に襲われて、……用心して胸元に入れといたのに、うっかり落として割っちまったんだ、雷獣を、封じ込んだ水晶球を」
「雷獣だって?」
「ああ。見世物用の幻獣の中でも、水晶球の中で落雷の光が弾けるように輝く雷獣は、けっこう欲しがる奴が多いんだ。だから思いきってハイシャンシの方まで遠出して、運よく捕まえて帰って来たとこだったんだ。浮かれてたから、なんかいい物持ってると思われたんだろな。ついてねぇ」
 重いため息とともに男が顔を伏せてしまう。多少の間を置いてロウは話を促した。
「それで?」
「水晶球が割れた途端に、雷獣が落雷を連発して。お陰で盗賊からは逃げられたもんの、走って逃げる俺をずっと追っかけて、雷は落とすし、まともに前が見えないよな雨は降らせるしで。その上、この宿から出るたびにおんなじことのくり返しで、五日間も足止めくらってんだよ……」
「幻獣使いなのに、自分で捕まえた幻獣に、言うこときかせられないのか、あんた?」
「……っ! 仕方ねぇだろっ、俺は三流なんだよっ。そりゃぁ、一流の連中なら、自分から捕まえに行かなくたって、向こうから近寄って来っだろよ、言うことだって進んで聞くだろよ。だけどよ、俺はそうじゃねんだよっ、ちくしょっ、悪かったなっ三流でっ! 道具がねぇとなんもできねぇよな三流でよぉっ!!」
 よほど鬱屈が溜まっていたのだろうか、それとも単に自棄になってか、図星をつくロウの言葉に弾かれたようにサンザは立ち上がり、雷鳴にも負けない大声で絶叫した。
 サンザの言うとおり、一流の幻獣使いには道具など必要ない。彼らはただ呼べばよいのだ。ただ一言、来い、と。それだけで幻獣は彼らに従う。彼らが水晶球のような道具を用いるのは、単に幻獣が人間の多い土地、魔法力の乏しい土地に長くいて弱るのを防ぐというだけのこと。
 常に道具が必要なのは、力の弱い幻獣使いだけだ。彼らは幻獣がどこにいるかを知り、捕まえることはできる。だが、それだけだ。力づくで支配するだけ。だから、その支配下から逃れたものが自分を虐げた相手に復讐しようとしても、全くおかしくはない。
 何を思ったか、ふいにハクが窓を開けた。
 目が眩むばかりの青白くまた黄金に輝く閃光が夜空を疾駆する。世界を破り捨てるかのような音が、大地をゆさぶるかのような剛い音が、轟く。地を屋根を叩き続ける雨音さえもかき消して。
「……きれいですねぇ」
 素直な呟きに苦笑し、ロウも心の中で同意する。


 《3》

「ん? あんたが捕まえた雷獣って、もしかして一匹だけ?」
 急な問いに、ふてくされたように男が返す。
「当たり前だろ。一遍に何匹も捕まえられるほどの腕じゃねんだ」
「だけど、雷獣は必ず群れるだろ。一匹だけでいることは絶対にない。生まれてから死ぬまで、いつでも数匹で群れを作って行動すると聞いて……ああ、そうか」
 何に気がついたのか、ロウはふっと風雨と雷電で荒れ狂う窓外を見やり、確かめるかのように小さく呟いていた。
「そうか」
「けど、……どうすりゃいんだ。もう一回、捕まえるにも……」
 自暴自棄の勢いも消え失せて、サンザはがっくりと項垂れた。
 それにはまるで頓着せずに、窓の外をじっと眺め、顎に拳をあてがい考え込んでいたロウが、口を開いた。
「もうひとつ尋きたいんだが。あれにはもう買い手がついてるのか?」
「いんや。幻獣は狙ったところで必ず捕まえられるとは限らん。腕のいい奴なら別だがね。俺は、捕まえてから客を探すことにしてる」
「ふうん。それなら問題ないか……」
 彼は体ごと男に向き直ると、告げた。
「もしも、あんたを助ける手があるって言ったら、あんた、オレの言う通りにするって約束できるか?」
「え? ……なんだってっ!?」
「尋いてるのは、オレなんだけどね」
「ぇあ、ああっ、本当にそんな方法があんのかっ?」
「多分ね。で、どうする? オレの言う通りにするかい?」
「するっ、約束するっ。だから、あれをどうにかしてくれぇっ!」
 雷鳴が男の語尾をかき消すように響いた。男はひぃっと首をすくめ、縋るようにロウを見上げて、叫んだ。
「助けてくれっ!!」
 ロウは確かめるようにハクの顔を見た。彼ははいはいと軽く頷いて、確かに聞いたよと請け負った。
「了解。証人になりますよ」
「じゃあ、試してみるか」
 足元に置いてあった荷物袋の口を開き、ロウはいくつか同じくらいの大きさの布の塊を取り出した。探しているものが見つからないのか、確かめるように次々机の上に積み重ねた後に、ようやくその一つを取り上げ、残りは再び袋に詰め込む。
「ハク、荷物を見といてくれ」
「いいですけど、それよりどうするんです?」
 問われ、彼はにやりと笑った。
「なじみにしてるのに、オレの商売を忘れたかよ、おい」
「…………何だ。そういうことですか」
「ああ。さて、と」
 ロウは頭を抱えて床に蹲っている男の前にしゃがみこみ、ゆっくりと手の中の布の包みを解きながら、声をかけた。
「なあ。あんたは幻獣の言葉を理解したり、自由に操ったりはできなくとも、とりあえず道具さえ有ればそれを捕まえることだけはできるって、言ってたよな、確か」
「……ああ、けどそれがどうしたってんだよ。俺の水晶は割れちまった。かけらばっかじゃあ、なんも使い物になんねえ。あれが無けりゃ、俺にゃなんもできねぇんだ」
「あるって言ったら?」
「え……」
「ほら。こいつならどうだ?」
 ぐいっと目の前に突き出された物。ただただ恐怖にこわばっていた男の顔がふっと一瞬、すべての表情を失った。
「こ、こ、いつぁ………………っ!?」
 幾重にも取り包まれた布の中から出て来たのは、タジャの実ほどの大きさの、透明な水晶球であった。歪みも傷も全く無い完全な球形で、薄闇の中でも中央に仄かに光をはらんでいるかのようであった。
「きれいですねぇ」
「だろ?」
 ハクの賛嘆に自慢げに応えるロウの声が聞こえているのかいないのか、幻獣使いは愕然とした表情のままぽっかりと口を開けて、ロウの手の上の水晶球を凝視している。
「オレの扱う石の中でもとびきりの品の一つだからな。品質は保証付。見たとおりで色は全く無いし、不純物も入っていない。形状は真円で、歪み無し。おまけに魔力を持っている。大きくはないが、これだけの品は都でも滅多に無いぜ。本当は、西都の占術師か魔法使いにでも売り付けてやろうと思って持って来たんだが、……どうだ、これなら使えるんじゃないか?」
「使、えない、なん、て言っ、たら、…………バチ、当たるって」
 掠れた声を詰まらせながら答え、そうしてじわじわと瞳に感情を取り戻していく。
「使っていいのかっ!?」
「ああ」
 サンザは両手で水晶球を受け取ると、ごくりと喉を鳴らし、しばらく覚悟を決めようとしてか水晶球の中心を覗き込んでいた。
 その様子を黙って見ていた二人の前で、やがてゆっくりと立ち上がる。震えてはいたが、やる気になったようである。最初から、彼にはそうするしか道は無かったのだが。
「じゃあ、外に出るか」
「ここまで呼べないんですか?」
 不思議そうに尋ねたハクに、呆れたようにロウは言った。
「ハク。自分で言ってただろうに。落雷避けの魔法が仕掛けてあるんだから、雷獣が近寄れるわけないだろう」
「ああ! もしかして、それでサンザさんがここにいる間は晴れていたんですね」
「用意周到でよかったな。さもなけりゃ、今頃この建物は黒焦げだっただろうよ」


 男は雨の中を真っすぐに歩いて行った。三流とはいえ幻獣使いだ、居場所はわかるのだろう。先刻までは避けていた幻獣のいる方向へと、進んで行く。
 雷獣も、自分を捕まえた人間のことを見間違えはしないらしい。男が宿の建物から街道の幅五本分ほど離れた頃だった。
 数条の稲妻が天から降り注ぐように地を叩く。
 豪壮華麗なその素晴らしさにロウは思わず目を見張り、息を呑んだ。離れていてさえ凄まじい衝撃。間近のサンザがどうなっているかと、急いで目を凝らせば、地面にしゃがみこんだ塊のような姿があった。
「おいっ、大丈夫か!?」
 声は届かなかったかも知れない。だが、すぐに男が体を起こすのが見えた。その向こうに、勢いの増した雨の向こうに小さく動く生き物の姿も。
 雷光が閃く。小さな生き物を取り囲むように。
 いいや、その幻獣が呼んでいる。
 天を仰ぎ見るように、叫んでいる。
 悲鳴だった。
 雷電の全てが雷獣の号泣であった。
 理由もわからないままいきなり水晶球に閉じ込められて。
 外に出られたと思えば見知らぬ場所で。
 そこにいるのは、自分だけで。
 いつものように仲間を呼んだのにどこからも応えはまるで無く。だから悲鳴を上げていたのだ、仲間の応えが欲しくて叫び続けていたのだ。
 そして自分を捕まえてここまで連れて来た相手に、それを叩きつけている。他に為す術は無くて。
 立ち上がることを諦めたのだろう。男は地面に座り込んだままで両手を空に向かって差し上げた。手の中の水晶球が雷の輝きを受けてきらめく。
「入れっ!」
 男の声が、喉も裂けよとばかりに張りあげられた必死の絶叫が、雷鳴に拮抗する。
「雷獣よ、雷獣よ、我の支配に従えっ!!」
 幾条もの稲妻が一点へ、水晶球へと集中する。
 豪音が轟き渡る…………


 雨脚は急速に弱まり、見上げれば空を覆っていた雲が消えてゆくのがわかった。
「さぁて」
 一切が何とか片付いたことを確認したロウは、サンザが一人泥まみれになってへたりこんでいる場所へ向かった。どことなく焦げ臭さを纏わりつかせながら、まだ荒い息が収まらないでいる男は彼が近づいて来たことに気がついて、引きつったように、ほっとしたように笑った。が。
「じゃ、それ渡してね」
 手を差し出されて絶句する。
「え……」
「オレが持っていくから」
「……ぇえっ!」
 男は水晶球をしっかりと握り締めたまま、目を見開いてポツリとこぼす。
「だって、こりゃ、わざわざ、東の端まで行って……」
「水晶球の代価を支払えるって言うならまた別だが、無理なんだろ? しかも、これが無ければ、あんたはこのまま雷獣に付きまとわれて、一生雷雨の中で生きることになるかもな。どうする?」
「どうするって……」
「あんたがそれを自分の物だって言い張るんなら、オレはそいつを割るだけだし」
「ば、そっ、何でっ!?」
「だって、雷獣はあんたが捕まえたのかもしれないが、水晶球はオレのだぜ?」
 助けを求めて視線を泳がせた彼は、戸口に立っている宿屋の主人に縋ろうとしたが、ハクもまた首をゆっくりと横に振っていた。
「さっき、約束していたでしょう、サンザさん」
「ご主人……」
「それは、ロウさんの物です。欲張りすぎると、元も子もなくなりますよ」
 疲れきった男に、いったい何ができただろうか。


 《4》

「それで、ロウさんはそれをどうするつもりなんですか?」
 すっかり身支度を整えて一階に現れた彼から、幻獣使いに渡すよう重量感のある小さな布袋を預かりながら、主人が尋ねる。
 大きく開け放たれた窓の外には雲ひとつない空が広がり、またとないようないい天気だった。昨夜の豪雨で道の状態は多少悪いかもしれないが、それも長くはないだろう。
 上機嫌を隠さないロウはにっこりと笑い、胸元をぽんと叩いた。
「決まってる。元いたとこまで連れてくさ」
「西に行くんじゃなかったんですか」
「珍しくないだろ。オレはいつだって行きたい所に行くだけだよ」
「まあ確かに。でも、それ、結構高く売れるんでしょうに、いいんですか?」
 それ、とは雷獣を封じ込めた水晶球のことだった。確かに都市部では幻獣そのものが珍しく、そのうえ見世物としての雷獣は派手で見栄えがする。水晶球自体のかさ張らない大きさもあって、かなりの高額で取引されるのは間違いない。それがわからぬようでは商人とは言えないだろう。
 けれどロウはあっさりと首を横に振る。
「誰が孤独を好む? いや、まあ、そういうヤツもいるんだろうけど、少なくともオレは嫌だね、オレは。閉じ込められたままでいるのも」
 旅に生きる男は笑う。
「自分で望んだことならいいさ。でもこいつは違うだろ。仲間の所に帰りたがって、あんなに悲鳴を上げていたんだ。気持ちはわからないでもないからな。もっとも、口実かもしれないぜ。あまり馴染みのない土地に足を延ばすのが、そもそもオレの一番やりたいことなんだし」
 けれど、胸元を叩いた瞬間のにじむようなやさしい表情に気づかないほどつきあいが短くはないハクは、ただ微笑みで応え、ロウの笑みを照れ臭げなものに変えた。
「では、今度来たときにでも、その話を聞かせてください」
「楽しみにしててくれ。じゃあな」
「気をつけて」
 いつものあいさつを交わして宿を後にする。
 飛び立つ寸前の鮮やかな色彩の鳥が描かれた看板が、太陽に向かって歩いて行く彼を羨むかのように見送る。
 どこまでも伸びる道の上に、空は眩しく晴れていた。



《了》





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