翼を連ねて




  −空を想わずには生きられないから−



  《1》

 今日は星祭り。


「おや、珍しいものを連れてるね、おじょうさん」
 市の雑踏の中から不意に声をかけられ、少女は振り向いた。
 聞き覚えのない声は、やはり見た覚えのない人物のもので、それでもそのまま歩き去ってしまわなかったのは、その若い男のいかにも人好きする笑顔の所為だっただろうか。天幕の途切れたわずかな空間に、大きな荷を足元に置いて座っているその男は、せっかくの祭りの市には不似合いな草臥れた装いで、丈夫そうな足元から見てもどうやら旅の途中であるらしいと伺えた。
 少女はなお少しのためらいの後、上手に人の流れを抜けて青年の目の前に立った。
「あなた、旅の人?」
「ああ。旅商人の、ロウっていうんだ。よろしく。ここで祭りがあるって聞いたんでちょっと寄ってみたんだが、期日にすっかり遅れちまってね。店を開く場所が取れずに見ての通り、お客さん状態だよ」
 やれやれと頭をかく仕草に笑みを誘われて、少女は素直に微笑んだ。
「どうせ店を広げないなら、広場に行ったらどうですか? 『星の樹』が立てられてて、きれいですよ」
「へえ。じゃ、後で行ってみるかな」
「灯火をかけるから、夜になるともっときれいになるはずだけど」
 と、少女のほっそりした左肩の上でいきなりばさばさとやわらかな羽ばたきの音がして、彼女は肩にとまらせていた真っ白な鳥を右腕に移し替えた。鳥は飾り布の巻かれた部分に優雅に掴まる。
「おとなしくなさい、ステラ」
 たしなめる声音はやさしく、ステラと呼ばれたその鳥も謝るように甘えるように首を伸ばして少女の頬にすりよった。さも自分を見てもらえて満足した、といった様子。
「慣れてるね」
「雛のときに拾ったの」
 少女は答え、それから勧められるままロウが背をあずけている柵に並ぶようにもたれかかった。
「近くに親鳥がいるかもしれないって思ったけど、ひどい雨が降っていたから放っておけなくて。元気になってから拾った所に何度も行って、でも親鳥も巣も見つけられなかった。それで、わたしが育てたの」
 嘴から尾の先まで含めれば、人の頭ほどの大きさになるだろうか。すっきりとした流線形の姿は、夜空のような目を除けばどこからどこまでも白い。嘴と足は真珠のように光沢を帯び、またその羽毛は虹色を閃かせている。
 そもそも姿は美しいのだろうけれど、少女が大切に世話しているのだと、よく手入れされたその様子からすぐわかる。今は祭り用の晴れ着の代わりなのか、首にきれいな赤いリボンを巻いていた。
「それで、翼はいつ頃から?」
 あまりさりげなくそれを問われて、少女は目を瞠った。そしてさきほどかけられた言葉が、思った通り、単純に人の気を引くためだけではなかったのだとはっきり悟る。肩にとまっている鳥を遠目にも『珍しいもの』と言ってのけたからには、本当に何かを知っているのだ。
「……拾って、たぶん二カ月くらいたった頃だったかしら。最初は、気のせいだと思ったの。でも、ちゃんと飛べるようになったはずなのに、まただんだん飛び方がおかしくなって……。ケガじゃないの」
 くっと膝を曲げてしゃがみこみ、少女はステラの姿がよく見えるようにロウの目の前に腕を延ばした。彼女の意図が伝わったのか、偶然か、ステラはふわりと大きな白い翼を広げた。
 きれいに広げられたその左翼だけが、ステラの持つ翼だった。



  《2》

 触りはせずに、ただしげしげと間近で観察する彼を、少女は息をのんで見守った。奇異の目ではないそれも、怪我で失ったのではないかとの疑いをまったく口にしない相手も初めてで、彼女は自分が何か答えをもらえるのだと信じられた。楽しみにしていたはずの祭りの喧噪が今はひどく遠く、現実味がない。すぐそこにあるのに。
「やっぱり……だな」
「え?」
「前に、同じのを近くで見たことがあってね。さっき、遠目だったけど目についた。この色合いはそうだとは思ったんだ」
 ロウは満足そうに頷きながら、不安げに見つめていた少女に向け笑ってみせた。
「心配していたんだろう、でもこれは病気の所為じゃないよ。君は本当に大事に上手に育ててる」
「あ……」
 急に目の奥が熱くなった。ステラの心配そうな鳴き声。心配ないと頭を撫でて、少女はなんとも説明のしようのない感情にやはり口ごもる。
 彼は驚いた顔も慌てたりもせず、またなれなれしく慰めることもせずにゆっくりと彼女が落ち着くのを待っていた。ただ手持ち無沙汰ではあったのだろう、ちょいちょいとステラの尾にちょっかいをかけては避けられ、と遊んでいるのに彼女はやがて気づき、小さく吹き出した。
「……ごめんなさい」
「まあ、仕方ない。こいつのことが大事だってことなんだろ?」
「はい」
 にっこりと笑って応えた彼女に、ロウはステラを指さして、教えた。思いもしなかったことを。
「あのさ。そもそもこいつね、鳥じゃないんだ」
「え?」
「見た目はまるっきり鳥と同じだけどね。これは、幻獣だよ」
「幻、獣……」
 言われはしても、彼女にはステラが鳥以外のなにものにも見えない。もちろん、その翼が片方しかないというのは普通の鳥とは違っているのだが、それ以外のどこをとっても、鳥じゃないと言われてはいと頷けるかというと、疑問だった。…同じ姿形の鳥を見たことは確かに一度も無いけれど。
 ロウも彼女が納得しかねているのはとうに承知なのだろう。説明を続けた。
「普通の鳥と同じように卵から生まれ、雛から巣立ちの頃まではちゃんと二つの翼を持って飛ぶことができる。だがやがて左右どちらか片方の翼は初めよりも大きくなり、もう一方は小さく縮んで無くなり、飛べなくなる。完全にそうなる前に対の相手を見つけ、以後は常に二羽が一対となって飛ぶ、その幻獣の名を『比翼(ひよく)』と言う」
「二羽で、飛ぶの?」
「ああ。右の翼と左の翼と、あわせて一対の翼となって飛ぶんだそうだ。雌雄のつがいが対になるのが普通らしい」
「らしい? 見たことがあるって……?」
「ああ、そりゃ、オレが以前に見たのは、こいつと同じ、一羽きりでいる比翼だったからさ。しかも、こいつと同じように人に飼われているやつをね」


「そもそも人の多い土地でここまでちゃんと成長できるってのも、珍しいんだがなあ。人が多くなるほど、幻獣がいるには環境が悪くなるから、比翼に限らず、ここらにも幻獣はめったにいないだろ?」
 幻獣使いにいろいろ聞いたことがあるのだというロウが、なにやらごそごそ荷物を探りながら続ける。
「比翼は、人里から離れたところに何対かまとまって巣を作る。空を飛ぶには対の相手が必要なんだから、当然だな。だから、幻獣使いが捕まえたのでもないのに一羽きりで人里にいるなんてのは、本当にほとんどあり得ないことのはずなんだが……」
 自分のことを言われているとわかっているのかいないのか、ステラは少女の腕から肩に場所を移し、左右にゆっくりと首を振っていた。その度に尾がちょうど逆方向にゆれるのが笑える。
「あの……、前に見たその比翼って、……どっちの翼が残ってたの?」
「右」
 はっと顔を上げた少女を、ロウは慌てるな、と目で止めた。
「翼があればいいってものでもない。彼らは心を添わせて飛ぶんだ」
「心を添わせる……」
「いくら空を飛びたくても、いくら補い合える翼を持っていても、心を寄り添わせることができなければ、彼らは飛べない。ただ逆に、空を飛ぶ必要が無いほど心を寄り添わせることもできる。比翼同士ではなくとも」
 語るその眼差しがやさしく、少女とステラの間を行き来していることに気が付く。
「期待しすぎると、駄目なときがっかりするからね。そういう可能性もあるんだってことは、ちゃんと覚えておきな」
 そしてまた少女が忘れている事実を指摘した。
「大体、その比翼がいるのはキリアって町だ。知ってるかい? ここからはかなり離れた土地だ。もしも対になれるかどうか可能性を試したいとしても、君が行くことはできないだろうね。その場合、君はステラをこのままオレに預けることができるかい?」
 問われた言葉に、とっさに応えられなかった。
 きっとステラのためにはそうすることが必要なのだと思っても、彼女には頷くことができなかった。離れたくない。
 きゅっと握り締めた少女の小さな拳を見つめるロウは、最初からわかっていたことだと言いたげな表情だった。
「な? まあ、焦ることはない。比翼はけっこう長生きするし、君もしっかり面倒をみているようだから当面は……と、あったあった、これだ」
 先程から探っていた荷物の中からようやく目当ての物を見つけだしたらしく、ロウはいそいそと浅く平たい木箱を取り出した。覗き込んだ少女の前で開けられたその内側は小さく格子状に区切られていて、小指の先ほどの様々な色の小さな石が入っていた。ロウはそこからひとつの青い石を取り出した。表面は滑らかで平たく、元の形から割ったかけらのようで不格好なその石は、けれどとても深い青色が美しく、よく見ると星のような金色が散っていた。
「えっと、これってもしかして、青金石?」
「そう。比翼と相性が良い石。これは君に」
「えっ?」
「幻獣は、人里にいると弱りやすいからね。今みたいにいつも一緒にいるんだろうから、君が持ってればいいよ。お守り程度にはなる」
「で、でも、わたし、こんなの買うお金なんて……」
「いらないいらない。同じのを、キリアのやつにも渡してある。代金はそいつがまとめて支払済。もし万が一、自分と同じように比翼を飼ってる人間がいたら渡して欲しいって頼まれててね。まさか本当に渡すことになるとは思わなかったけど」
 代金支払済の商品なんていつまでも預かってるもんじゃない、と肩をすくめて、少女のゆるくほどけた手のひらに置いた。



  《3》

「さてと。せっかくここまで来たことだし、そこらを見て回って、お勧めの広場に行ってみるか」
 手早く荷物を片付けたロウが掛け声とともに立ち上がると、少女も慌ててそれに続いた。何か言いたげなものの言葉を見つけられずにいるらしいその表情を目にし、ああ、とロウは背負いかけていた荷を下ろした。
「忘れるところだった」
 再び蓋を開いて中に手を突っ込みごそごそやる。今度はすぐに目的の物を探り当てたらしく、あっさりと手を引き抜いた。
「これ、比翼の飼い主の名前と住所」
 手渡された封筒は小さく、いささか草臥れたふうであった。けれど、旅に旅を重ねて生きているのだろうこの男が持ち歩いていたにしては、大切に扱われてきたに違いない、傷みはごくごく少なかった。彼自ら、これは珍しいことなのだと口にしながら、ずっと持ち歩いていたのはどうしてなのだろう。まるで……
「言っとくけど、ここからだと、本当に遠いよ」
「…………うん」
 彼女にはまだ、受け取るのが精一杯で。けれど。
 いつか封を切り、手紙を書けるだろうか。距離を越えて会いに行くことになるかもしれない。ステラを連れて。
「ありがとうございます」
 ぺこりと頭を下げた彼女を楽しげに見下ろし。
「じゃあ元気でな、おじょうさんたち」
「……あ。あの、わたし、ライラです、ロウさんっ、お元気で!!」
 少女は慌てて告げそこねていた名前を口にした。ロウは顔だけ振り返ると満面の笑みを見せ、大きく大きく手を振った。
 少女の肩の上でステラも左翼を広げた。まるでロウの仕草を真似るかのように。
 後ろ姿は呆気なく人込みに紛れ、今までそこにいたことが嘘のように思われた。
「……なんだか、不思議な人だったね」
 思わず、呟く。起こったすべてが忙しなすぎて、妙に現実味が薄い。
「ねえ。ステラは飛びたい、よね?」
 首を傾げて見つめ返してきたステラにライラは微笑んだ。
「いつか、行こうか。一緒に」
 翼を連ねて飛ぶことはできないけれど、こうして心を添わせることはできる。
 そして空への鍵は手の中に、封筒の形で確かにあって。
 生まれ育ったこの土地を離れることは、容易くはできることではなくても。それは決して不可能なことではないはず。
 この人波の中でロウと出会うという偶然が、あったのだから。約束もしていなかったのに、こんな人込みの中で、出会うことができたくらいだから。
 願ってみよう、と。
「……ああっ、まっずい。みんな、怒ってるかも……」
 すっかり忘れていた友人たちとの待ち合わせをはたと思いだして少女は青ざめ、焦るままに雑踏をかき分けて走りだした。
 耳元でバランスをとろうとしたステラの羽ばたきが響いた。
 彼方にある約束を待ち侘びるかのように。


 今日は星祭り。
 願いの叶う日。



  −空を想わずには生きられないけれど−




《了》




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