臨 時 休 暇




  《1》

 店の扉が開く音がかすかに響く。
 扉が閉まりきるより早く迎えに出た店員の案内を手を挙げて断り、訪れた若い男は危なげなくカウンターに向かった。
 左手奥に置かれた古びたピアノからは、耳障りにはならぬ音量でしっとりと奏でられた旋律が、どちらかといえば狭い店内を心地よく満たしている。
 決して多くはない客たちも心得たふうで、滑らかに動く器用な指が切れ目なく綴る曲を邪魔することなく言葉を交わしあい、また言葉なく杯を干してゆく。
 各々のテーブルに置かれた灯火は硝子の器の中、わずかに手元を確かにする小さな蝋燭が一つずつ。テーブルごとに色を違えたそれが、暗がりに小さな星のように散る。
 カウンターには灯火が一つ。先客は杯を手に奏者をぼんやりと眺めていた。
「いつものを」
 運ばれてきた灯火を手元に、男は慣れた口調で酒を求めた。待つほどもなく供されたそれをゆっくりと味わい、ふと視線を動かした彼は、傍らに座る先客の横顔を凝視した。ここのような店で一人で飲むにはいささか若い……
「……クリストファ、じゃないか?」
「え?」
 弾かれたように振り向いた青年ははっと目を見開き、辛うじて堪えたとわかる小声で問い返した。
「グリルフィード先輩、ですか?」
「奇遇だな」
 一瞬にして酔いが醒めてしまった、と言わんばかりの彼の顔を目にしてグリルフィードは思わず苦笑し、宥めるように後輩の肩を叩いた。
「他の連中には秘密にしてやるよ」
「…………感謝します」
 過ぎるほど真摯な口調。却って笑いを誘われ、グリルフィードは勢いよく吹き出しかけた口許を辛うじて手で押さえた。クリストファは温厚な顔に情けなさそうな表情をのせて、ただはぁとため息をもらした。


「おまえ一人なのか? おいおい、こんなところで飲んでて大丈夫なのか、例の『爆破魔人』は?」
「……リオンは、他の級友たちとまとめて外出禁止を言い渡されたので、学院に居残りです」
 いきなりの問いに、目に見えるほどがっくりと肩を落とし、仕方ないかとクリストァは思い直す。今や学院中の人間に知れ渡っているその酒癖から、彼は様々な別名を与えられている。いや、学院の生徒が外出日になると繰り出す街でも、特に酒場において、その存在は広く知れ渡っているのだ。
 当然、それに伴ってクリストファの名も。
「ああ、だから宿舎に待機せずにいられるのか。マースンさんも今夜は楽だな。それにしても、店の選択がちょっと渋過ぎやしないか、おまえ? 若さが足りないぞ」
「……学院の生徒がよく行くような店では顔が知られすぎてて、落ち着いて飲めないんですよ」
 しぶしぶと返された答えはなんとも哀れな限り。
「それに、せっかくゆっくり飲めると決まった日ぐらいは、万が一にも急な呼び出しをかけられるのは嫌ですから。すぐに捜し出されるような店じゃ、まずいんです」
「納得。おまえ、この店にはよく来てるのか?」
「まあ……、一人で飲みに出る機会自体が少ないんですけど。この店は好きです。先輩も、ここにはよく来られるんですか?」
「ああ、いい店だろ。騒ぎたくない気分の時に一人で来るところだから、俺もあまり人には言い散らしたくない。おまえに会ったことも、本当に言うつもりはないよ」
「助かります、本当に」
 言って傾けた杯が空になったことに気づいたクリストファは、ためらいなく次の酒を頼んだ。灯火を受けて、杯に満たされた火酒が美しくゆれる。
「しかし、今頃外出禁止の連中はどうしてるのかねぇ。一人で出て来たおまえのこと、ぶつぶつ文句言ってるんじゃないのか?」
 まったく冗談口で笑ったグリルフィードに、クリストファの顔色は冴えなかった。
「どうした?」
「あ、いえ……。ちょっと出掛けに嫌な予感を……」
「どんな?」
「実は……」
 少しばかりのためらいとともに、クリストファは友人たちとのやりとりについて語り始めた。



  《2》

「なあなあなあ。おまえも参加しろって、クリストファ」
「やだね」
 一言の下に拒否されても懲りず諦めず、次々に声がかかるのが鬱陶しい。
「せっかくおまえらがまとめて外出禁止なんだ。こんな滅多にない日に、おまえらにつきあって学院に残るだ? 冗談じゃない」
「だってさぁ、おもしろそうじゃねぇ?」
「《物質化》は《呼出》に比べてずっと厄介だ。悪いことは言わん。やめとけ」
「なんとかなるって。リオニスが一緒にやるんだぜ」
「……やめとけって」
 大きく手を振ってまとわりつく級友たちを追い払い、クリストファは外出の準備を続けた。と、諦めがたい様子でうろついていた仲間たちが一斉にざわめきたった。
「リオニース!」
「おまえからも頼めよ。クリストファの奴、今夜、俺たちを見捨てて出掛けるつもりらしいぜ」
「え、クリス、一人で下山するの?」
「ああ」
「絶対?」
「ああ」
「……止めて、こっちを手伝わない?」
「手伝わない。っておまえ、調子に乗ってこいつらに付き合うなよ。絶っ対、まずいことになるから」
「えぇー! 大丈夫だって」
「おまえの大丈夫ほどあてにならないものはない」
「うわっ、ひっどーい」
 わざとらしく、大仰に叫ぶ少年の真正面に向き直り、形の良い額に跡が残るほどぐりぐりと指先を押し付けて念を押す。
「いいか。おまえら、外出禁止処分を受けてる身だってことを忘れるなよ? 外出できないから酒と食い物をばれないように魔法で調達しようなんて考えは捨てろ。即行捨てろ。今日ぐらい、おとなしくしてろ」
「……つまんない」
「つまんないぐらいでちょうどいい」
 膨れっ面の主張に、すがる余地もないほどきっぱり言い渡し、街行きの乗合馬車の待つ玄関先で最後の釘を刺した。
「裏庭だろうがなんだろうが、先生方に感づかれないってことは絶対にあり得ないからな。バカな真似はするなよ、リオン」


「おやおや、《物質化》を習ったのか……」
 グリルフィードは呆れたように、また懐かしそうに笑った。
「ま、やっぱり一度は通る道だよ」
「先輩たちもやったんですか?」
「そりゃあ、習ってすぐに挑戦したさ。外出日以外に、それも学院内で酒を飲むにはそれしか方法がないからな。けど、あんまりうまくいかなかった、というより、作り出せた酒は今思い出してもぶっ倒れそうなほどもう壮絶に不味かったし、先生たちにもあっさりばれて罰則くらったよ」
 うっかり思い出してしまった味をごまかそうとするかのように杯を干し、グリルフィードは首を傾げる。
「まあしかし、噂の天才なら、成功するんじゃないのか?」
「……成功したらしたで、さらに問題なんですけど。あいつの場合、酔ったら爆破魔法、ですから。《物質化》が成功して酒が出せたら、学院内で爆破騒動確定ですよ」
「心労が耐えないなぁ、『カード使いのクリストファ』ともあろう者が」
「その呼ばれ方、『爆破魔人』とセットで使われるんで、あんまり好きじゃないです」
「在学中に二つ名をつけられるなんて、滅多に無い名誉だろうが。それとも、『爆破魔人のお守り』の方がいいのか?」
「…………勘弁してください」
 あまりにそのままの呼び名を口にされ、止めを刺されたクリストファはカウンターに突っ伏した。
 外出日のたびに、酔ったリオニスが引き起こす爆発騒動を収めてまわっていた彼は、もちろん素質もあったのだろうが、魔法力の不足を補うために利用したカード化魔法に習熟する結果となった。ほとんど強制的に、また、急速に。
 今では学院随一の『カード使い』の名をほしいままにしているが、なにしろその理由が理由である。栄誉に対する喜びは薄い。
「まあまあ。せっかくお守りから解放されてるんだ。今日ぐらいは思う存分呑め。そうだ、俺がおごってやるよ」
「え、いいんですか、先輩?」
「かまわんよ。その代わり、俺が帰るって言うまでつきあえ」
「潰れててもよければ、喜んで」
 杯を掲げ、ようやくクリストファは屈託なく笑った。
 確かに、次はいつこんな機会があるかわからない。そのままがらりと話題を変えたグリルフィードにあわせ、せっかくの申し出を無駄にしないよう、クリストファも酒を楽しむことに決めた。

 静かな夜が更けてゆく。



  《3》

 外出日明け、パルナ学院の専用馬車は二日酔いの生徒達を乗せて山道を上る。
 もうじき学院に到着するという頃、しとしととやわらかな雨音が屋根を叩き始めた。寝不足の彼には馬車の振動も雨音もともに子守歌のようで、ただ心地よくうとうととしていたのだが。
「なあ、クリストファ」
「なんでしょう、先輩」
「なんだか、酒臭くないか、外が?」
「……気のせいじゃなかったんですね……」
 ひそめた声でためらいがちに意見を交わした彼らは、二人顔を見合わせ、何故とは知らぬまま怖々と馬車の窓を開けた。
 霧のような細かい雨が降っていた。
 雨から、酒の匂いがした。
 窓から差し出し濡れた手を嘗め、独特の香りにグリルフィードは断じた。
「……火酒だ」
「…………先輩。恐ろしいことに、実は、この事態の原因に心当たりがあるんです」
「アレか?」
「アレです」
 再び顔を見合わせ、笑った。力無く。
 その脳裏に、恐らくはほぼ同時に『爆破魔人』の名が浮かぶ。
「……がんばってくれ」
 両手で顔を覆ったクリストファの前に、次第に目にしたくもない光景が見えてくる。
 学院の門前に池を成すほど火酒の雨は降り注ぎ、門の上に、また道の上や左右の木々の枝にも、香ばしい焼き色を晒した肉塊が転がっている。忙しなくそれらを大きな袋に詰め込んでいた一群が馬車に気づき、慌てて大きく両腕を振りながらクリストファの名を連呼した。
 たちまち集まる見慣れた級友たちの中に、苦り切った表情の学院長の姿を見つけ。
「……だから、やめとけって言ったんだ、わたしは……」
 床にめり込まんばかりに項垂れた後輩の肩を、グリルフィードは心からの同情を込めてぽんと叩いた。


「リオンッ! この、ばかものがっ!!」
 通りのいい、まさしく魔法使いにふさわしい声でクリストファは一向に懲りようとしない友人を怒鳴りつけ。
 彼の臨時休暇は、いつもの外出日と何ら変わりない状態で終わりを告げたのだった。



《了?》




皇樹新さまより、このお話のイラストをいただきました。こちら→




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