記憶無き剣の記録








《 Prologue (… or Epilogue ) 》




 ルルルゥルッ…
 どこかとろりと暖かい午後。陽が半分だけ開けた窓から差し込んでいる。薄いカーテンは微風にひらり、ひらり舞うようにゆれる。
 窓の外には手入れの行き届いた庭が美しい。蝶々がひらひら花から花へ渡る。すぐ外の木の梢にとまっているのだろうか、時折、小鳥の声がやわらかに響いた。
 広くはない部屋は、居心地よくしつらえられている。豪奢ではない。ただ、ゆっくりと落ち着いて過ごすにはふさわしい。
 壁際に置かれたベッドには、一人の男がヘッドボードにもたれるように横になっていた。髪には白いものが混じり、穏やかな顔には皺が深く刻まれている。立てばかなりの背丈があるだろう。今は衰えているけれど、毛布の上に重ねられた両手はかつての逞しさを彷彿とさせた。呼吸は、浅い。
 ベッドの傍らには若い男が座っていた。顔立ちに似たところは見られぬので、親子とは思われない。ただその穏やかな表情が、二人どことなく似ていた。
 ふと男の瞼が上がり、見守るように傍らに座っている青年を見上げて、笑んだ。
「…そんな時間かい?」
「ええ」
 わずかに残念そうな声音に再び頬をゆるめて、男は小さく声を出して笑った。
「君には、とっくに、わかっていたことだろう? そんな表情をして…」
「知ることと、納得することは、別ですよ」
 笑みに紛れた沈黙は、しばしの間、静かに二人を包み込んだ。風がやわらかにカーテンをゆらす。遠く、遠く家畜のベルの音が聞こえた。
 ルルルゥルッ…
 小鳥の囀りと羽ばたき。午後の日差しがやさしい。
「結局、見つけることができなかった。残念だよ」
「けれど、あなたは私に帰る場所をくれました。家族と、穏やかな暮らし。今までの契約者は、私を友人にも家族にも、したりはしなかった」
「君は俺の親友だよ。無二の親友で、今は家族だ。みなもそう思っている。子供らなど、俺よりも君の方が好きなんじゃないのか?」
「何を言ってるのやら。…皆な、気持ちの良い子です。あなたにとても似ている」
「…幸せだったか?」
「もちろん。あなたは?」
「とても、な。とてもよい人生だったよ。君のお陰だ」
「いいえ。あなたの家族のお陰です。あなたが慈しみ守った家族の」
「だがそれも、君がいなければ、手に入れられはしなかった。感謝している」
「…いまさら、照れ臭いことを言うんですね」
「そうでもなけりゃ、言えないだろう」
 リルルゥルッ…
 笑うように小鳥の声が窓から飛び込む。


「一日でも早く、君が全てを、取り戻す日が来ることを、祈っているよ」
「ありがとう。私もあなたが永遠の平穏を得て、あなたの愛した全ての者たちといつか再会することを祈ります」
 彼らは視線を合わせ、静かに微笑みを交わした。それは二人が出会ってからの時間が、多少の後悔はあっても、十分に満足のいく日々であったことの証しであった。
 老いた男は大儀そうに数度咳をし、それから皺深い目を扉に向けた。
「さあ、皆なにお別れを言う時間だ」






  NEXT 》  T.未だ名も無き獣の名乗り




/BACK/