百 日 紅




 とても大きな庭だった。

 そこはかなり前から空家になっていた。十年以上も買い手がつかないだとか、いや持ち主が売ろうとしないのだとか、いろいろと噂があったようだが、実際のところ、その頃の俺たちの知ったことじゃなかった。
 庭は荒れ放題に荒れていた。高い板塀の壊れた所から覗き見えるその庭は、なまじ沢山の木やら花やらが植えてあっただけに、手入れの手が入らぬままに、恨みがましくものがなしい。
 俺や当時の同級生などは皆、その家を『おばけ屋敷』と呼んでふざけていた。幽霊が出たという噂はとくに無かったものの、雰囲気はなかなかに恐ろしく、仲間で入っていったものはまだ一人もいなかったはずだ。

 俺がそんな所に、それも一人で入る羽目になったのは、四年生の夏休みの終り頃だっただろうか。そもそもの理由はもうとっくに忘れたが、遊び仲間と言い争いになった時だ。『おばけ屋敷』には入れないだろう、とバカにするように言われて頭にすっかり血が上ったか、そのくらい全然平気だ、と売り言葉に何とやら、引っ込みがつかなくなってしまったのだ。
 言い切ってしまったものの、もう夕暮れ時でもあり、壊れた塀の隙間から潜り込む頃にはのぼせていた頭も冷え、とっくに後悔していた。しかし、子どもには子どもなりの意地があった。簡単に戻ってたまるかと、怖気る自分を抑えつつ、庭木の下を通っていった。
 とても大きな庭だった。外からのぞいて想像していたよりもずっと。
 目立つのは松や柘植や椿の木、ツツジに紅葉、七竃、他にも沢山の名前を知らない木。立派な石橋の掛けられた池にあるのは水芭蕉の葉だろうか。浮き草の名などはまったく知らない。
 ごく当たり前の日本庭園のようだった。昔は美しかったのだろう。人が住み、きちんと手入れがされていた頃は。
 池にはかろうじて水が残っていたが、黒ずんだ緑色に澱み、あまり気味の良い色ではなかった。月見草やらよもぎやら、すすきまでもが我が物顔に生い茂り、折からの暮色にいっそう物凄く、何やら寒気さえ覚えたけれど、まだまだこの位で逃げ出すものかと意地を張り、恐る恐るさらに入り込んでいった。
 家屋の方も立派な和風の建物だったが、ことごとく雨戸が閉められていて、中の方は見えなかった。人の住んでいない家は傷むのが早いというけれど、確かに人の気配のない大きな家というのは、それだけで気味が悪い。十年も放っておかれた家となると、輪をかけて不気味に見える。
 荒れた庭に、ざわざわと風が吹く。木や草が一斉にざわめきたつ。
 しん、と黙る。
 さすがにもう帰ろう、と引き返しかけたその時、唐突に鮮やかな赤い色が目に入り、逸る足を引き止めた。
 百日紅が咲いていたのだ。赤い百日紅の花が。
 手入れされていなかった木は、ひょろりと背ばかり高かった。あの頃、仲間のうちでもかなり背の高い方だった俺の頭の、さらにずっと上の方に、ひと塊だけ、房のようにかたまっている花は、黄昏時の薄暗がりの中でも赤く、ひときわ紅く、ぞくっとするくらい綺麗に咲いていた。
 十年の間、誰に見られることもなく。それとも、俺のように忍び込んでこんなふうに咲く真っ赤な花を見た人もいたのだろうか。人に忘れられても、季節が巡ってくるたびに誰に見せるでもなく、見られるでもなく、咲いていたのだろうか。
 綺麗で、しかしやはり恐ろしく、泣き出したくなっていた。
 逃げ出すように早足で戻ろうとして、派手に躓き転んだ。慌てて立ち上がろうと地面についた手が、土ではない何かに触れた。
 ちょっとした興味。
 軽くそれを覆っていた土をはらってみると、白っぽい石のようなものが見えた。
 一塊の骨が。

 悲鳴を上げたのだろうか。よく覚えていない数秒間の後、俺は庭の外にいて、さらに事情が分からないでいる四人の友人に囲まれて、大きな声で泣いていた。怖くて、ただただ無性に怖くて泣きじゃくっていた。
 友達が心配して皆なで家まで送ってくれた。すぐに母親に庭で見た事を話すと、さすがに俺の尋常ではない様子に驚いたのか、調べて貰えないものかと警察に連絡してくれた。
 人間の白骨死体が、百日紅の木の下から掘り出されたのは、次の日の事だった。


 あれ以来、赤い花を咲かせる百日紅が、血まみれの骸骨にしか見えないのだ。



《了》




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