迷 い 雪








 え? あの話? うん、いいよ別に、話しても。
 けっこう前のことなんだけど。私がまだ小学生だったから、えっと、………ああ、あれからもう五年かな? そんなに過ぎてたんだ。早いなぁ。
 あの日はね、みんなで友だちの家に泊まったんだ。そこの親が旅行か何かで留守にするから、集まって騒ごうよって話になってね。次の日がお休みだから、朝まで徹夜でお喋りしようって決めて。誰がゲーム準備して、誰がCD持ってきて、お菓子の買出しは、…なんて計画たててる時からすっごく楽しかったんだよー。
 真冬でね。何日か雪が続いてて、その日も朝から降っててけっこう積もってた。
 夜もかなり遅くなってから、お菓子全部食べちゃって、朝までの分をもっと買いに行こうって誰からってこともなく言い出してさ。
 寒かったけど、ほら、真夜中に外を歩くのって、特別何かしなくても、ちょっと楽しいじゃない? 友達同士だけで大人がついてこないのって、そんなにあることじゃないからね。…そりゃ、子供が深夜に出歩くなんてことは危ないからなんだけど。
 それぞれコート着て、マフラー巻いて、手袋して。みんなでかたまって、おしゃべりの声もちょっとひそめてみたりしてね、近所のコンビニまで出かけたんだ。

 その時にね。

 変なんだよね、今考えても、絶対。だって、そんなに遠くにあるわけじゃなかったんだよ、そのコンビニ。その子の家に遊びに行ったのも、そこからそのコンビニに行くのも、初めてじゃなかったし。
 それなのに、私一人はぐれて迷っちゃったんだ、道に。
 雪が、今しがた止んだばかりの雪で。すごくすごく静かで、なんか全然音とかしなくてさ。友だちみんなの声とか聞こえてればよかったんだけど、…聞こえてもおかしくなかったはずなんだけど、それも全然……。
 それに夜だったけど、明るいの。暗いけど明るいのって、わかる? 積もってる雪に街灯の光が反射するから、雪が降った夜って不思議に明るいんだよね。でも、やっぱり暗いの。暗くて静かなんだよ。知ってるはずの場所なのに、いつもと違って見えたのって、雪のせいだったのかな?
 目の前にあるのは、足跡一つ無い雪道で。
 私は、一人で。
 怖かった。すごくすごく心細くてたまらなかったの。

 その時にね。

 小さな音が聞こえてきたんだ。私の足音じゃなくて、息の音とかでもなくて、目の前の十字路に向かって、別の道から近づいてくる、何かの音。
 ううん、音って感じじゃなかった。囁き? 囀り? 何かの声みたいなんだけど、言葉じゃないの。少なくとも知ってる言葉じゃなかった。そんなのがたくさん、近づいてくるのが聞こえた。
 それまであんまり静かだったせいかな。慌てて曲がり角に向かって走ってね、その声の聞こえてくる方を覗いてみたの。そっと。

 そっちもやっぱりまっ白な道で。
 足跡が一つも無い、まっさらな雪に覆われていて。
 暗いのに、ほんのり明るかった。
 そのずっと先の方に小さく、道の真ん中を何かが歩いてくるのが見えた。囁きのような、囀りみたいな、言葉ともいえない小さな声を上げながら、躍る足どりでしゃり、しゃり、って雪を踏み歩く音を従えて。
 気がついたの、街灯がすっかり消えてたことに、その時になってやっと。
 気づかなかったの、だって、でも。

 でも、明るかったから、その道は。
 その道だけが。

 紙にじわじわと墨がにじんでいくみたいにそれが近づいてくるのを、息を止めてじっと見てた。瞬きもできなかった。
 行列だったんだ、ちょっとした。あー、もちろん甲子園の入場行進みたいなかっちりしたのじゃなくって、適当に集まって、行き先が同じだからとりあえず一緒に歩いてる、くらいの気楽な感じ。てんでばらばらにそれぞれで好き勝手なことして、でも、おもしろいくらいひとつの行列。
 近づいてくるうちに、やっぱりそれも変だってことがわかった。…ん? 何がって?
 ………信じるかな。私もね、何回こんなふうに思いだしてみても、あの夜に見たもののこと、やっぱり信じられないような気がするんだ。全部、夢だったんじゃないのかって。

 その時にね。

 一番前を歩いてきたのは、犬、だと思った。たったかたかたかって行ったり来たりしてて、かわいかったよ。小さな犬に見えた。角が無かったらね。
 それとじゃれあってる猫もいた。全身黒一色で、すごくしなやかな、めったに見られないってくらいきれいな猫だった。でも、ふわふわゆれてる真っ黒な尻尾はどう見ても、二本、あって。
 うん、あれって普通『妖怪』って言うんじゃないかな。ちっちゃな猿みたいなのが何匹かかたまってたけど、それも目の数が多かったり少なかったり。蛇とか蜥蜴とかも見たことない色や大きさしてたり、あとやっぱり角とか、…翅とか。
 もとの形が動物風のだけじゃなくってさ、よくわかんない格好のもいっぱいいた。そうそう、何か不気味だったのは、ぱっと見ると石なのに、にょいって腕だか触手みたいなものが出てきてごろんって転がるやつ。しかも左にふらふら、右にごろりって不安定で苛々するし、どこからその、触手みたいのが出てくるかわからないし、出てくる形もおかしいし……。
 そういうのが次から次と歩いてくるんだからさ。唖然呆然だったよ、ホント。逃げるとか、そんなの考えてる余裕なんか無かった。
 その中にね、一人だけ、いたんだ。普通の人間の格好の。
 男の子。
 私よりたぶん年下だった。ただね、なんかちょっと変な格好してたんだ。冬だったのに半ズボンに半袖のブラウスで、その上に大きな花の柄の着物を羽織ってたの。あれって、国語の資料集に説明で載ってた、羅(うすもの)っていうのだったのかな、少し透けてたんだけど。
 それでね。なんだかね、その男の子、『特別』みたいだったの。
 ふわって、着物がなびいて。
 妖怪たちが退いて。
 その子の手がひらり、舞うみたいにゆれて。
 周りを歩く妖怪たちがざわわって喜ぶように、畏れるように。
 ふわんと、着物が舞い上がって。
 妖怪たちが纏わり寄って。
 まるで一緒にいられるのが嬉しくて嬉しくて仕方がないように、まとわりついてみたり。
 かえって近づきがたい様子で慌てて遠巻きに退いたり。
 気を惹こうとしたり。
 たぶん行列そのものが、その男の子一人のためだったんだと思う。この世にたった一人、彼らにとって唯一絶対の王様か王子様って雰囲気で。喜々としてかしずくって、ああいうことを言うんだなって思った。
 夢中になってたんだろうね、いつの間にか小さいリスみたいなのが行列から離れて私の隠れてるところに近づいてきてたの、気づかなかった。真っ赤な炎の色の尻尾をふわんふわんふりまわして、首を傾げて、行列に見入ってる私を観てた。
 それからぱっと飛ぶように…、ってほとんど飛んでたんだけど、凄い勢いで行列に戻ってその中心、………男の子のところに駆けてったんだ。
 あ、って思った。小さな妖怪が、私のいる方に向って尻尾を振ってたのがはっきり見えたから。
 得意げに告げ口するみたいな小さな声が、さわさわさわって聞こえたから。
 そしたらね。
 その子が、笑ったの。うっすら笑って、足を止めて、私のいる方を見て。
 きれいだったよ。少ししか歳は違わないように見えたけど、そうやって笑った顔は、子どもの顔のままなのに、ずっとずっと大人っぽく見えた。
 一瞬だって目を離すのが惜しいくらいにきれいだった、けど。

『…ああ、迷いこんじゃったんだね、君』

 透明な声でそう言った、きれいな笑い顔の中で、目がね。
 そこだけが。
 それはまるで笑みなんかじゃなくて。

 その瞳は透き通る金色。
 そしてまたすべてを飲み尽くすただひたすらな漆黒。
 あまりにも昏い暗闇の果てに在る色。

 いきなりものすごく高い空から突き落とされたみたいに。
 怖かった。すっごく怖かった。
 だってあれ、人間じゃない。人間の形をしていたけど、でも人間なら。
 ほんとにただの人間だったら。
 あんな眼差しができるはずがないの。
 絶対にできるはずない。

 いつのまにか妖怪たちもすっかり足を止めてこっちを見てたけど、その子の目は、その妖怪たちのどれとも違ってた。
 それからね。
 少し考え込むように首を傾げてた彼が、ふいに腕をひらりって動かして。細い指を、震えて動けずにいる私に向けたの。

『もうおかえり』

 ぎゅっと目をつぶって、ふらって後ろ下がろうとしたら転んじゃって、思いっきりしりもちをついたんだ。
 ぐしゃって、雪がつぶれる音と冷たくって濡れた感触がして慌てて目を開けたら、もう。
 元通り街灯がついていて。
 ちゃんと見たことのある道で。
 目の前の通りには普通に車の轍もあって。他の人の足跡もたくさん見えて。
 友だちが私を呼んでる声が聞こえた。

 全部、夢だったんじゃないかって思った。

 証拠なんて無いよー。私の記憶だけ。それから、確かに迷ったりするはずがないような場所で、私が少しの間何処に行ったかわからなくなってたっていう、友だちの主張と、だね。
 そうそう。あの後、三日間くらい高熱出して寝込んじゃったんだよね。風邪だろうって言われたけど、きっと、アレの所為。これも証拠みたいなものかな。
 もう一回? やだ、そんな怖いこと言わないでよ。あんなに怖いって思ったことなんてなかったんだから。あのさ、その子が私を帰してくれたのって、多分だけど、かなり気まぐれだったんじゃないかって感じたんだ。二度とあんな目に会いたくないや。
 ……あー、でも。うん、ちょっと、ほんのちょっとだけ、見てみたい、かな。見るだけ。
 あの、男の子。
 私がメンクイになっちゃったのって、絶対あれの所為だもん。

 でもね、忠告しとく。
 望んで逢えるものじゃないだろうけど、望むべきでもないと思う。
 想うって、引き寄せる力みたいだから。
 それにね、やっぱり。
 ただきれいなだけならともかく。

 きれい過ぎるものって時々、すっごく怖いものなんだよ。






《了》





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