花 蝕 之 天






 》 1 《


「なに?」
「あのね、ちょっとお願いがあるの。話、聞いてくれる?」
 どうやって声をかけようかとためらっている様子が、二講座目の頃からずっと感じられてて、もう四講座目も終了。結局こっちできっかけを作ってあげた。そ うしたら、これ。多分、授業時間以外で彼女がこんなふうにに長く話したことって、無いんじゃないかしら。
 せっかくの機会だから、じっくりと間近で見上げる。……もしかして、まるっきり天然なの、この肌? まさか爪まで。ラメもタトゥーもピアスもカラーも なぁんにも入ってないだなんて、イマドキ珍しい。
 おずおずと彼女が首を傾けると、さらっと髪が滑らかな音をたてて視界に入った。これも素よね、たぶん。日によって気分によって色を変えるのなんて、朝食 のドリンク選ぶのと同じ程度の感覚。全然手を入れないのは不精かアレルギーか信条持ちか。ああ、でもこのくらいきれいなら不精ってことは無いわね。手を入 れる方がかえってもったいないからかも。
 はっきり返事をしなかったものだから、不安になったみたいに彼女は瞼を細かくふるわせた。うーん、睫ばっさばさ。それで重たい感じがしないどころか、繊 細華奢って印象なんだからうらやましいわ。
「なに?」
「えっと、だから……」
「だから、お願いってナニ? 話してくれないとわかんないよ」
「……聞いて、くれる?」
「だからナニって言ってるの」
 おずおずと様子を伺うような話し方。人と話しなれてないのかもしれない。まあ確かに、彼女みたいなコはあんまり私の周りにはいないし、彼女はといえば普 段ほとんど一人でいる、んじゃないかしら。意識して見たことないからわからないけど。同じ講座を受けてるってだけの接点じゃ、それが普通でしょ。
 そんな私の返事を聞いて、彼女はふわっと笑った。
 びっくり。
 なんでこれまで強い印象がなかったのかしらってくらい、なんかもう……ときめいちゃうじゃないの、オンナノコに。そっち系じゃないはずなんだけど、こ れ、必殺。ああ、そうね。目立たないくらいの方がいいわね、これじゃ。
「……でいい?」
「え? あ、今ちょっと聞いてなかった。ごめん」
「あ、ううん。あのね、ここだと話しにくいの。人の居ないところがいいんだけど」
「ヒミツの話なの?」
 あらステキ。まさか告白じゃないわよね。
「じゃ、きら家のランチボックスとって、ガーデンに行く?」
 こくんって、そんな風に頷かれると……思わず頭を撫でちゃった。うわ、すんごいさらっさらでつやつや。銀色の星を入れた私の爪が、ほんとに真っ暗な夜空 に光ってるように見えた。




 》 2 《


 あんまりお腹は空いてなかったからランチボックスはS。そのかわりドリンクはLLを選んだ。今一番気に入ってるブラッチーノマイルド。食事のお供だから 甘味料なしで。
 彼女、ラーラもボックスはS、ドリンクもSだった。なんか納得。この小さい口で大食いだったら、ちょっとイメージ変わっちゃったかも。
 学校敷地に隣接しているガーデンでは、ちょうどランチタイムに合わせた今日の花が満開だった。銀細工のように繊細なガーベラ、ラストランドデー。
 今でこそ落ち着いたけど、この花が発表されたばかりの頃は大騒ぎだった。着色なら似たような色が出てたけど、改良でこの色を持たせるなんて、不可能だっ て思われてた。植物の色じゃないじゃない? それまでだって一度も新作発表しなかったってわけじゃなかったけど、ガーデンで入場制限出さなきゃならなかっ たのって、あの時が初めてじゃなかったかしら。
 半年くらいたったら一般に流通するようになって、ガーデンまでわざわざ見に来る人は激減したけど。私は切花よりも生きてるのが好きで、元通りに人の減っ たここで時々自主休憩したりする。そうこれ、鉢売りも種の販売もしてないの、今も独占販売。うまいやり方よね。
 一面の花畑。調整された心地よい風が銀色のガーベラをゆらす。
「で?」
 食べ終わったランチボックスをベンチのシューターに押し込んで、私はラーラを促した。話があるって言いながら、なんだか私が切り出さないといつまでも始 まらないみたい。
 彼女は言われて初めて気づいたみたいに目を丸くして、慌てて手にしていた空のボックスをシューターに押し込んだ。どこか不慣れな感じで、指を挟まないか 見てるこっちがひやひやする。
 そうしてラーラはバッグから小さなメイクセットを取り出した。意外、彼女でもやっぱり使ってるんだ。
「これ、知ってる?」
「とーぜん! 昨日やぁっと買えたのよ。『I/C』でしょ、ヴァルボード社の新商品」
 オシャレに血道をあげるイマドキの若者なら男女を問わず、これを知らないわけがない。タトゥーシリーズの新商品だ。
 むかしむかし、親の世代よりももっと前にタトゥーと言ったら、針で肌に開けた穴に直接色素を刷り込んだり、逆にもっと簡単にシールを張ったりするもの だったらしい。でもそれは一度入れると皮膚移植しない限り取れなかったり、逆にすぐぼろぼろ取れてきたりと、毎日楽しむ飾りとしてはいまひとつのものだっ た。私だったらやらないわ、痛いのなんて。
 今『タトゥー』と呼ばれてるものは全然違う。
 そもそも皮膚移植そのものがものすごくお手軽になったから、スペアの皮膚に最初から好きな模様を入れて張り替えて楽しむこともできるし、もっと簡単なメ イクセットで長期間定着させることも、すぐ描きかえることもできる。
 中でも一番流行ってるのは、セットを使って皮膚に薬剤を注入すると設定された模様が浮き上がってきて、身体の動きにつれて模様が動いて見えるもの。初期 のホログラフみたいなのかしらね。時間ごとに色が変化するのとかはこれまでに何作か発表されてきたけど、こんなに躍動感のある動きを表現したのはこの 『I/C』という商品が初めてで、発表されると同時に売り切れ品切れ状態が続いてた。予約しても手に入らないって、どういうことよって感じだけど。
 で、一介の学生にすぎない私では、情報はいっぱい入ってきても現物はなかなか手に入らず、昨日ようやく手元に届いたってわけ。なんだか勿体ない気がし て、まだ使ってないんだけど。今日も仲間とその話題で盛り上がってたし、彼女もそれはわかってたと思う。
 だからその製品を見せるのが目的ってわけじゃなく、すぐにそれとよく似た、別のセットを出してきた。外装もなにも無しで袋に入ってるってだけのセット。 商品番号かしらね、艶のない小さな文字が並んでた。
「あのね、わたしの親が、商品開発してるの。ヴァルボード社で」
「……えぇ!?」
 開いた口が塞がらないってこんな感じなのね。まともに話すのは初めてだから知らないことばっかりなのは当然だけど、それにしてもびっくりさせられっぱな し。
「それでね、これ、開発途中のなんだけど」
「持ち出していいのぉ!?」
「うん。許可されてるの。というか、これがお願いなの」
 首をちょっとだけ傾げるのは癖なのか、私の方が背が高いから自然とそうなるのかしら。見つめられてるって感じがして、ちょっとくすぐったい気分。
「これをね、実際に使ってみてほしいの」
「私が?」
「うん。あと他に三人くらい、あなたの友だちにもお願いして、使い心地とか感想とかを教えてほしいのよ。ただこれ、発売前に無計画に情報が広まると困るか ら……」
 企業秘密ってやつか。類似商品が発表されてしまうと、いくら先に開発してたって主張しても買い手には関係ないし、どうしてもインパクトで負けるのはわか る。
「商品モニターってことね。でも、私たちみたいな部外者にそんな大事なこと頼んじゃっていいのかしら?」
「製品開発では部外者ってことになるけど。でも、一番利用するのはあなたたちでしょ? だったら、その人たちの意見を聞くのが大事だからだって。それで同 じ講座取ってる、信用できそうな人にお願いするようにって、頼まれたの」
 信用。いきなり持ち上げられた。ちゃんと話したのは今日が最初なのに、そんな風に思われてたなんて、奇妙な感じ。
 まあ、いい。興味が先立った。
「ところでこれ、どんなとこが新しいの?」
「今、やってみる?」
 頷いてしまった。この好奇心先導型の行動はなんとかしないといけないんだけど、こうでないと私らしくない気もするしね。
 ラーラの手がセットを手にする。扱いなれてるみたい。もしかして。
「あなたも、モニターとかしてる?」
「うん」
 だから、こんなに全てが素の状態なのかしら。まあ、そもそも元がいいからだろうけどね。一個も矯正入れてないのにこんなにバランスがいいコって稀少よ、 稀少。一目でそんなことが見分けできる私も珍しいか。こんな特技でもいつか役にたつんならいいけど。
「ね、どこに入れる?」
「手。左手の甲から手首の辺りに、模様が入るようにできるかな?」
「うん」
 爪の先まできれいに手入れの行き届いた細い指が、私の手をとった。
 忘れてた、後でマニキュア取らなきゃ。校内では装飾は一度にひとつがルールなのだ。一時期、みんながあんまりきらびやかだったせいで出来たルール。だか らこそ、ひとつの装飾をどう工夫するかの楽しみもあるというもの。
 一般のタトゥーセットと同様に、模様を入れたい場所に注入針を当てる。無痛針だからいいんだけどね、どういうわけかじっと見てしまう。薬剤の注入が終わ ると、彼女は空の入れ物をまた丁寧にしまった。なるほど、開発中だもんね、注意してるんだ。
「他の人に頼んだ時も、回収した方がいい?」
「あ、うん。お願い」
 無意識に手をこすっていた。模様が完全に浮かび上がるまでには多少時間がかかる。こすったからって早くなるわけじゃないけど。じれったくて、どきどきす る。
「……ん。そろそろ、かも」
 言われて、右手を外した。そこには。
「………………は?」
「葉っぱ。よかった、ちゃんと芽が出た」
「……新商品?」
 これが? 思わず首をひねった。手首の付け根辺りに、ごくちいさく草の芽らしきものが描かれていた。何の変哲も無い葉の形。緑を帯びた銀色。
「リアルモーション機能、っていってね」
 本物の芽をつぶさず撫でるようにそっと、ラーラの指が私の手首を撫でた。
「育つの」
「……育つ」
「うん。大体一週間から十日間かけて変化して、最後に花が咲くの」
「新商品」
「そう。新商品」
 確かに、今までのタトゥーにこんなものは無かった。色の変化はあっても模様は変わらない。たとえば『I/C』だって、動くだけでもびっくりだったけどよ く考えてみれば同じ動きしかしないわけだし、所詮目の錯覚を利用したもの。
 全然違う。毎日少しずつ模様が大きくなっていくだなんて。
「どう?」
「すごい、かも」
 正直に答えた。ふわりっとまた彼女は笑った。だから、その笑顔はまずいって。
「それで、何の花が咲くの?」
「わからないの」
「え?」
「利用者の体質とかによって変化して、色んな花を咲かせるんだって。だから、咲いてからの楽しみ。おもしろいよね?」
「……確かに」
 この時にはもう、ついさっきまでみんなで騒いでた『I/C』のことはすっかり頭から消えうせていた。
 ああ、いったいどんな花が咲くんだろう。




 》 3 《


 アンナ、サイエ、それからリト。
 ラーラとガーデンで別れた後、こっそり声をかけたのが三人。新しいものに目がなくて、口が堅くて約束をきちんと守れるってことを基準にしたら、あまり迷 わず決まってしまった。私の交友関係も浅いわね。
 三人とも興味津々半信半疑で説明を聞き、実際に私の手首を見て、結局試した。
 ラーラが言った通り、浮かび出てきた模様は全員違ってた。色も形も。共通してるのはそれが芽の姿だってこと。タトゥーを入れる場所にも関係あるのかしら ね。聞いておけばよかった。
 それもこれも、明日のお楽しみってことにして。
 他の人にばれないように、毎日四人で昼食をとる約束をした。


 どこか寄ってく予定もそんな気分でもない。校舎を出てすぐのキュラクタの空きに足を引っ掛け、通過ルートを選ぶ。自宅までの直通。ブゥンと特有の低い音 が静かに響くと浮遊感に包まれ、滑らかに速度が上がってゆくのを肌で感じ取る。
 眼下、街路エリアを徒歩で移動している人の群が、人形のように見えた。中でも同じ年代の学生集団は校内ルールから解放されるや否や、飾り物をこれでもか といわんばかりに身に着けるから、ひときわキラキラしい作り物の花束みたい。
 人が通りかかるたび、瞬くようにハサウェイは広告映像をくり返す。ちょうど映し出されてる、ヴァルボード社の例の新商品。銀色の花畑、モデルの肩に浮か びあがった鳥が鮮やかに羽ばたいて飛び立ち、商品ロゴに変わる。何度、目にしたかわからないくらい。うちにも、昨日やっと手に入れたばかりのがひとつある けど。
 ふっと視線は手首に流れ、そこにある模様を確かめた。銀色の芽。さっきの今じゃ、さすがになんの変化もないけど、これが次の大流行の先駆けかと思うと、 誰彼かまわず見せびらかしたい気分になる。ああ、でもこれのおもしろさは、毎日見る人間じゃないとわからないのか。
 一人用使っててよかった。他の人に見られたら恥ずかしいくらい、にやついてたね。
 気がつくと街路エリアが切れ、目に映るものは無機質な壁面だけになっていた。ここからも移動時間はまだ少し残ってる。いつもの通りに設定変更と同時にオ ンになるURW4のニュース、いつも通り双子都市プロメテアの話題が流れる。今日は耳を素通り。


 その後の六日間、ラーラと会うことはなかった。同じ講座を取っていないのか、それとも何か用事があって彼女が来ていないのか。同じ学校に所属してても、 顔を合わせない相手っていくらでもいるからね。彼女とまともに話したのはあの日が初めて、いつもどの講座に出てたのかなんて、知るわけもない。
 この間、私自身は珍しいくらい毎日きちんと通った。何故って、理由は簡単よね。おかげで授業内容自体はさっぱりだわ。
 つまり彼女の言ってたことは、間違いなかったってこと。もうびっくりしたわよ、あの次の朝に手首を確かめると、ちゃんと芽が双葉になってたんだから。
 さらにアンナたちと比べてわかったんだけど、個人差がけっこう大きいの。色形だけじゃなく、育つ速度までこんなに違うと思わなかった。特にリト。肩に入 れた彼のは、まさに繁るって感じ? でも自然な印象なのにちゃんとデザインされた紋様なのよ、調整された筋肉で張りつめた腕から肘にむけて絡むように、赤 銅色の葉と蔓がかっこよくって。ちょっとだけね、羨ましかった。
 そう、私のが一番、変化が少なかったかな。最初に試したのに。数時間の違いだけど。
 どちらにせよ、公然と「これ、これ!」って見せびらかせないのが惜しいというか、残念というか。約束だから仕方ないもんね、これで他の三人がいなかった ら、約束破ってたかも。あら、その点も最初から考慮されてるのかしら、モニター選びって。秘密が好きな人間ばっかりじゃないよね。装飾品なんて、見てもら う楽しさがかなりの比重であるわけだし。
 だからよ、アンナたちと会ってる間はもう、自分のが一番って感じに自慢しまくり?
 うん。私が一番気に入ってるのは、緑色を帯びた銀色。どこか少し昔くさい、銀細工っぽい色あいの、……ああ、あれだ。隣接のガーデンに咲いてる新色の ガーベラ、ラストランドデー。なんだ、私のお気に入りじゃない。そういえば葉の形も似てる。もしかしてこの後にガーベラが咲くのかしら。そうだったら、す ごい偶然。
 五日目ともなると、他のみんなのも何の花が咲くのか予想できそうな感じになってた。リトのは朝顔、指先まで葉っぱで埋まって、もう蕾だらけ。アンナのは バラ。これも棘があったからわかりやすかったわね。葉と茎が青紫なんで、何色の花がつくのか正直予想がたてにくいんだけど、広く開けた胸元にね。
 サイエのが、最後までわからなかった。というか、花そのものを間近に見る機会が少ない私たちには、目の前で見たことがあるものでない限り、葉を見ただけ じゃ見分けなんてつかないわよ。咲いてようやく鈴蘭だった、ってね。
 で結局、彼女のが四人の中で一番最初に咲いたの。六日目。右の足首からふくらはぎにかけて、シックなビロウド光沢の薄桃色に。
 開花の瞬間は言葉にならなかった。それまでのゆっくりとした変化とはうってかわって、高速再生のフィルムを見ているみたい。ぽんと弾けるように膨らみ きった蕾が綻んでいく。息を止めて凝視しちゃった。
 これがタトゥーだなんて、信じられない。
 そう言ったのはアンナだったかしら。でも、みんなが同じ気持ちだったんじゃないかな。本物の花ではありえないのに生き生きと、ものすごく艶やかで、なの にデザインとして完成されてるの。それが自分の肌の上で咲くんだから、まさにエキサイティング。みんなの羨望の視線に、サイエの自慢げな表情といったらな かったわよ。
 その夜にはアンナのバラが、六日目の朝にはリトの朝顔が開いて、私一人ホントじりじりした。




 》 4 《


「アンナのも大輪でゴージャスだったけど、リトのを見たときにはため息でたわ。本物の花が咲く時と同じ、あんなに腕いっぱいだった葉の上に広がるように花 が次々浮き上がるんだもの。あらかじめ出た模様を、消してからじゃなく新しい模様がきれいに覆い隠してくのって、これがリアルモーション機能ってことよ ね、すごいわ」
「楽しんでるみたいね」
「もちろんよ! でも、私一人出遅れてて。悔しいったら……」
 今日もドリンクはブラッチーノマイルド、甘味料抜き。快適なそよ風が吹くガーデンに人はほとんどいない。お気に入りのガーベラ前のベンチで、ラーラと並 んでランチボックスを開ける。
 あれから七日。三講座目で彼女の姿を目にしてから、もうずっと落ち着かなかった。早く話したかったけれど、これはヒミツ、だもんね。必修講座だったから 抜け出すってわけにもいかなかったし。
 彼女は相変わらず何の装飾も入れないままで、私の話に耳を傾けながら時々ふわっと笑う。その表情に見蕩れてる私の手首、銀色のタトゥーが入った左手の甲 の上をふいに、細い指でそうっと撫でた。
「……あ」
「なに?」
「開きそう」
「え!?」
 言われて目を向け、驚いた。朝見た時にはまだ気配もない堅い蕾に見えたのに、それは今、きれいな爪が示す先で開きかけていた。
「うっそ、わ、咲く、もう咲いちゃう」
 空にかざした手の、指の先までまとわりつくように繁っていた葉の間に、吐息をつくようにふんわりと何枚もの花びらが広がってゆく。
 葉とも、茎とも違う色合いの、銀。
 白銀の花びらの、ガーベラ。
「……きれい……」
 思わずって感じに呟かれて、かえって照れくさくなっちゃった。だってホント、彼女ってば今にもキスすんじゃないのってくらいの目で、私の手に咲いた花を 見てたんだもの。こっちがドキドキするんだっての。
 でも、我ながらキレイだなっては思った。リトにも負けないんじゃない? 花の数では全然及ばないけどね、皮膚一枚のことだって信じられないくらいの質感 と色、思わず触って確かめた。銀細工を張りつけたようにさえ見えるけど、うん、凹凸はない。わーお、もうずっとこのままにしておきたい。
「これって、どのくらいもつんだっけ?」
「咲いてから、長くても丸一日」
「うう、もったいない……」
「そうよね、このくらいきれいに咲いたら、もったいないわよね」
 ……だからそんなふうに触らないでほしいんですけど。花の存在を確かめるように、花弁の一枚一枚を指が撫でてく。オンナノコの手だってわかってても、な んだか変な気分になるんだってば。そんなふうに思ってると、ふふ、と小さく彼女が笑った。
「ここの、ガーデンのガーベラと、すっかり同じ色ね」
 誘われるまま手を花群に向ける。
 まるでその中の一輪が私の手に移ってきたかのようだった。
 なんて現実離れして、ステキ。


 昼食後に出た講座でも、私は夢見心地のままだった。合流したアンナたちにめいっぱい自慢した後は、以前は毎日欠かさず通った街路エリアも素通りして帰 る。だってね、ここに咲いてる花以上のものを、思いつくことなんかできない。
 キュラクタの移動は快適。窓の外の風景がむき出しの壁面に覆われると、いつも通りオンになるURW4のニュース。プロメテアでもヴァルボード社の製品は 一番人気のよう、今日の出来事の合間に『I/C』の広告映像があふれてる。ああ、でも。
 左手のガーベラの方がずっと。
 私はうっとりと花に見蕩れ続けてた。




 》 5 《


 翌日のお昼を過ぎた頃に、銀色の花は萎れ始めた。
 他の三人のを見てたから予めそうなることはわかってたけどね、ものすごく残念。発売されてたら、ある限りの手段を尽くして次のを準備したんじゃないか な。私だけじゃなく、サイエたちも。そのくらい、開発中だというこのタトゥーは心を捉えた。
 最後まで気が利いてるんだもの。萎れしぼんだり、花弁が一枚ずつ散ったり、或いは色が変わっていったり。そうして焦点がぼやけるようにふわっと、すっき り消えたの。お見事って感じよ。
 ここ数日のドキドキが過ぎたのかしらね、気が抜けたみたいになっちゃった。だから、異変に気がついたのはその少し後、ちょうど第六衛星都市プロメテアの 事故のニュースが大っぴらに皆の口にされ始めた頃だった。


 第六衛星都市プロメテアというのは、ここ第五衛星都市エピメテアと同時期に、同規格同構造で建設された双子都市。だからこそそこで発生した事故というの は、エピメテアで起きたのと同じくらい重大な問題ってこと。だってなんらかの欠陥が原因だとしたら、こっちでも同じ事故が起こる可能性が高いわけだもの。
 最優先で調査されてるにも関わらず、事故の詳細というのはまったく伝わってこなかった。はっきりわかってるのは、都市設備自体は支障なく機能しているら しいということと、連絡が途絶えたまま回復する気配がないってこと。プロメテアに向けて調査団もすでに派遣されてるらしいけど、何も発見できてないんだっ て。
 何も、というか、誰も。
 誰も彼もが進展のないその事故のことで頭がいっぱいで、おかげで私の変調には気づかなかった。変調といっても、ぱっとすぐにわかるようなものではなかっ たってこともある。自分自身でも、最初少しも気にしなかったことだったから。
 左手、例のタトゥーを入れてた場所。
 実は他の三人とは、終わり方が少し違ってた。花が散った後、全てが消える前に何か小さい粒状のものが飛び散るかのように、私の左手の上を移動していった の。すぐに見えなくなったからその違いを気にしたりはしなかったんだけど。
 もしかして、あれは。


 大人しく授業を受ける気分になれず、結局ガーデンに向かった。相変わらず人の姿がない。ゆっくり歩いていつものベンチを目指した。
 そういえばもうずっとメインスペースを、この銀色のガーベラが占めてるような気がする。以前はもう少し短期間で入れ替えしてた記憶があるのに、止めたの かしら。どこまでもどこまでも揺れるラストランドデー、一面の銀色。
 ベンチに腰を下ろして、両手を目の前に伸ばした。あれ以来、ラメもタトゥーも入れてない。皮膚の色も変えてないし、爪は形を整えるだけにしてる。装飾を つける気になれないでいたから。
 それなのに手首には小さい、緑色を帯びた銀色の、芽が。
 触れても、ひっかかるものがあるわけでもない。爪でひっかいたって、取れるわけでもない。
 どうして?
 どうして入れてもいないタトゥーが出てくるの?
 どうして、増え、るの?
 手首に、肘の内側に、肩に、同じ形の芽があるのは、確かめた。肩のは、今朝になって気づいた。昨日は無かったはずだ、絶対。
 花の最後に散って見えたあれは、種、だったのだろうか。
 でも、どれだけ育ってるように見えてもあれはあの花は、タトゥーなのに。
 タトゥー、よね?
 疑いもしなかった、けど。
 あれが開発中の製品だなんてことも何も全部、彼女が、言っただけのこと。セットの外装からそうと、勝手に判断しただけのこと。
 保障なんてひとつも。
 無い、よね。
 愕然とした。どうしてまったく疑いもせずに受け入れたんだろう。同じ講座を受けてたから? でも、そうよく考えてみれば、彼女と一緒の講座ってどれ?  彼女と同じ教室で講座を受けたことってこれまで何回あった? そもそも彼女は、ここに在籍してる、の?
 疑い始めると全てが疑わしく見えた。
 あの日が、初めてだった。初めて言葉を交わした。それまでは一度も話したことはなかったし、存在をきちんと認識したこともなかった。
 ただあの日、あの教室にいたから。
 だから。
 そうなのだと、思ったのだ。
 思い込んだのだ。
「………………ウソ」
「なにが?」
 目を上げると、彼女がいた。
 名前しか知らない、少女が。


 ラーラはほんの少し首を傾げて、ベンチに座っている私を見下ろしていた。光源が背になって、表情がよく見えない。
 ぞくり。
 どうしてだろう。ひどく、怖くなった。あんなに簡単に彼女の提案を受け入れておいて、今更。
 とっさに感じた私の怯えに気づいたのか、どうか。彼女は流れるような動作で隣に座り、伸ばしたままになっていた私の手を、その手に取った。
「ふふ。きれいね」
「……ラー、ラ……?」
 ほっそりとした指先が触れてゆく。手首に、肘の内側に、肩に。触れて、笑んだ。とてもとても満足そうな笑顔で、にっこりと。
「ねえ! これ、って、いったい……」
「あら、こっちにも。やっぱり、あなたに頼んでよかったわ」
 指さされたのは首元。彼女はまるで口づけのようにそこに唇で触れた。
 くらり。
 彼女の行動に驚いたから、だけじゃなかった。ふいに酷い目眩に襲われて背もたれに倒れこんだ。
 今の、ナニ? 急に力が抜けた。座ってるのがやっとなくらい、いきなり。

「ああ、甘いわ。わたしの花、わたしの蜜。根付いてよかった、代用品だけじゃ、物足りなくて」

 花? 蜜? いったいなんのこと? 代用品って、ナニ?
 声にならなかった問いが伝わったんだろうか、ラーラは私の頭を撫でた。小さな子どもを宥めるように。
「怖がらなくていいのよ、ララハニー、わたしの花。あなたはただこれからも蜜を作り続けてくれればいい」
「……違う、私、そんな名前じゃ……」
「気にしないの。すぐに忘れるわ」
 そんな、何でもないことみたいに言わないで。ああ、どうして声が出ないの。彼女の触れた肌に目が行き、息が詰まる。
 もう、咲くの?
 腕を飾る銀色のガーベラ、一輪きりじゃない、覆い尽くすようにラストランドデー、終末の地なんて不吉な名前。この花が咲いたのは偶然?
 花がゆれる、一面の銀色。誰もいないガーデン。誰もいないプロメテア。
 ああ、そうだ。ニュース画像にいつも映ってたじゃないの、銀色のガーベラ、ラストランドデー。双子都市であたりまえみたいに同時に流行した新色。
 早く教えなければ、誰かに。
 ……誰に?
 何を?
 どうやって?
 返事のないプロメテア。エピメテアからは調査隊が向かった。咲き乱れるラストランドデー、もう手遅れ。
「ああ、せっかくの花を横取りされても困るわね、こっちももう少し増やさないと。あちらは手狭になったみたいだし」
 思案するように呟く声。力なく見上げればふんわりと少女が笑う。
 くらり、また一輪、胸元に花の気配。
 いったいどうしてこんなことに。




 誰もいないプロメテア。
 誰もいないエピメテア。
 一面に。
 銀色の花がゆれる。





 》End《 





/BACK/