問わず語り
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 頭上でため息が聞こえる。
「歩くの下手」
「…なんでおまえは転ばないワケよ?」
 いきなり雪が降り積もって慌てた日の夕刻のことだ。


 基本的にあまり雪の降らない土地柄ではあるのだが、厄介なことに年に数度、油断を哂うかのように勢いよく降り、冗談のように積もる。しかもそれが大概選んだように試験の日にぶつかるとくれば、誰の仕業かとぼやきたくもなる。
 今回は結局、夜に比べれば日中は積もるというほどには降らずに終わったものの、一日中雪は止まず気温も上がらず。車に圧雪されたうえ強風に吹きさらされた路面は、場所によって氷も同然、磨かれたようにつるつるだった。
 いつも大学への行き帰りに使う道は風の通り道でもあって、見事なまでに路面は凍結の様相。ざりざりと踏むたびに音をたてる状態だけならばまだしも、人の足が踏み固めた場所などではふいの追い風に煽られて構えることもできず滑るのだから怖い。
 何しろけっこうな下り坂なのだ。車も人も往来が少ないことが幸い。まあ、そうであっても時折転ぶ自分の姿は大分かっこ悪い。一緒に歩いてるKが一度も転んでいないとくれば、なおさらだ。
 ふてくされ気味にゆっくりと立ち上がる。と、まるで関係ない方向を向いていたKが、ちょいちょいと俺を呼んだ。
「何」
「おもしろいものがある」
 思わず眉を顰めるのは、Kの言う面白いものというのが、文字通り面白いだけではないこともあるからだ。しかし同時に、彼が言い出したら引かないこともよくわかっている。しぶしぶとその先導に従って横道に踏み込み、とある家の庭を覗き込んだ。
 高く伸びた梢は全ての葉を落として身軽。所々に雪と、氷を絡めている。
 折しも雪の日の、早すぎるほど早い夕暮れ刻。ちらちら雪を吐く雲が、どういう気まぐれだかぱりりと隙間を生じて、薄紅色の光を零した。
 Kの示したその枝先が、赤く夕陽を点している。
 いや、と俺は目を凝らした。枝の先には初めから何か赤いものがあった。花か実か、一度溶けた雪水によって氷りついたものらしい。夕陽を受けてきらきらと、硝子か宝石のように見える。
 よくよく見ればそれは花で、まあ花といえば薔薇や桜やチューリップレベルの俺では何の花と名指しすることはできないが。実と思ったのも道理、花と言っても蕾だった。
 そもそもこんな季節に咲く花なのか、それにしても開ききる前に雪に見舞われたのは不運、そう思っていた矢先だった。
 蕾が、ふくらみ始めた。
 確かにしっかりと蕾全体が氷に包まれているのにそれは、氷の中で徐々に緩み綻び、ひらりひらりと一枚ずつ花弁を開いてゆくのだ。
 あっけに取られて見つめていた俺の前で、やがてその赤い花は最後まで開ききった。
 それは氷塊の中にあって、眠るように、満足げに、間違いなく咲いていた。


 隣に立って、同じように花の咲く様子をつぶさに見つめていたKが俺の肩を軽く叩いて、はっと我に返った。
 瞬きのうちに雲間は閉じていささかの隙も無く陽光を遮り、花散らすように繁く雪を降らせていた。
 問いただそうと勢いよくKの方に向き直った瞬間、つるりと足を滑らせた。
 頭上からは、呆れたようなため息が聞こえる。
 実際には俺こそが情けなさでがっくりとうなだれていた。


 去り際に振り返ったものの雪風に埋もれて、花のついた枝はどれとも知れず。








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