いざなう手






 大きく開けたままの窓から、網戸越しにも夾竹桃の花色が鮮やかに浮き上がって見えた。葉色が暗がりにとけているのとは正反対だ。
 日が落ちてから日中の暑さは多少やわらいだものの、風は少しも吹こうとしなかった。軒下にぶら下げられた風鈴が鳴れば、気持ちだけでも涼を感じたかもしれないが、これでは音をたてようがない。

 夏なんだから、ここはやっぱり怪談をするところだろう。

 最初にそれを言い出したのは誰だっただろう。帰省していた連中が皆で集まる名目だったDVDもすでに見終え、酒の酔いが回りきった状態で、誰からともなく怪談話を語り出したのは真夜中をとっくにすぎた頃合だったか。
 どうせなら雰囲気を出そうと話の途中で部屋の電気が消された。あえて音量だけを絞ったテレビの光がちらちらと揺れて不規則に影を落とす様子は、初めの思惑よりもずっと場を盛り上げた。
 正直ずいぶん軽いノリで語られた一人目、二人目が過ぎる頃には妙に神妙に集中して耳を傾ける集団の中にいて、俺もさすがに場に悪酔いしていたかもしれない。

 おまえは何かないのか?

 この手の話を聞くことはあっても語る側に回ったことがない幼馴染にそう水を向けると、カイはどことなく奇妙な表情になった。珍しくも何か迷っているようなそれへ、別に怖い話なんかは期待してねえよと重ねて言うと、後から文句は聞かないぞと苦笑いして座りなおし、つきあいの長い俺でさえ聞いたことのない、とある目撃談を語り始めた。


  * *


 ちょっと変わった話で、人の話じゃなくて自分の話ならいいんだよな?
 それならまあ、無くはない。つってもほんとに恐くはないぞ多分。そんなもん期待するな。それなら、話す。
 実は、ミネにも、話したことねえんだけど、これ。


 最初にそれを見たのは小学生の時だ。五年か六年……六年かな、ありゃ。
 何で残ったんだったのか、とにかく先生の用事で残されて、遅い時間に帰り道を歩いていたんだ。かなり暗くなってた。
 お前ならおぼえてるよな、ミネ。古くからの家がかたまって建っていた二丁目の、合い間の空き地が放ってたらうっかり林になっちまっ たみたいな一画。今はもう解体されたみたいだけど、俺らが小学生の頃は空き家なんだか古すぎる留守宅なんだか見分けのつかない、幽 霊屋敷って呼ばれる家があったのさ。
 どういうわけかそこの道は街灯の間隔が広いうえに、いつもひとつふたつチカチカついたり消えたりしてるのがまざってた。もともと昼でも妙に薄暗い感じがする道だったんだけどな。
 それで偶々、暗くなってからそこを一人で帰ることになったんだ。いや、怖いとかはそんなに思わなかったんじゃないかな? 別にかっこつけて言ってるんじゃなくて、そん時は他にもっと気になることがあったから……腹減ってたし、毎週楽しみに見てたテレビの時間が迫って焦ってたんだよ。いきなり残されたうえに長びいたもんだからさ。最初から早足で歩いてたんだ。
 その途中で、こう、目がボロい家の方に向かったんだな。あれ? って。
 ひとつ、明かりが灯ったもんだから。
 ずっとついてたんなら気にしなかったんだろうけど、通りかかった時にちょうどついたもんだからふっと目がいって、そこにちらちら……、じゃないな、ひらひらする白っぽいものが見えて、つい気になって足が止まった。
 蛾だったと思う、遠かったんではっきりしなかったけど、何かひらひら飛んでて妙に大きくて白っぽかったし、蛾や蝶だろう。ついた明かりも電気っぽくなくて、今思うとありゃ蝋燭かね、不安定にゆれる明かりでそこに寄ってきたんだろうなって思ったら、もうひとつひらひらしてるものがあってさ、それを追ってるような動きで。
 よくよく見たらそれは、手だった。がらっと開いた窓からむき出しの、ちょうど肘から上の部分が、動いているのが見えたんだ。
 白い手だけが、ひらひらってな。
 そんだけだ。見てたのはちょっとの間で、俺はさっさと帰ってテレビを見たかったから。ただ妙に印象深かった。あれからも同じ道は何回も通ったけど、あそこの家の窓が開いてるの、あれっきり見たことねえ。
 怖くねえって? だから、怖い話だって言ってねえだろ。ああ、けど続きがある。中学、行ってしばらく経ってからだ。
 昼飯食べようと急いで着がえたのに、四時間目の体育でグランドに出た時に上着を置き忘れてて、取りに戻ったんだ。グランドの西側に小さな川があって、そこに沿って木が並んでいた。その真ん中あたりの木の下に置いてたんだよ。
 何の木だったかね、両手で抱えられるぐらいの太さだったけど。枝はずっと上の方でばかり繁っていて、日陰の恩恵がほとんど無い木だったのはよくおぼえてる。
 とにかく昼飯時だったこともあって、グランドには俺一人だけだった。嫌にがらんとした雰囲気って、誰もいない時間帯の校舎と同じものがあるのな。
 上着はすぐ見つかった。色がはっきりしてたから見落としようがないさ。大体、他の連中も同じとこに上着を置いてたんだから、帰りがけに教えてくれりゃよかったんだよ。お前もいたよなミネ、薄情者が。
 そんで、上着を拾い上げた時にだ、ほんの目と鼻の先の木の陰、根元の草が繁って影になってる辺りから、何か動くものが見えたんだ。最初は蛇だと思ったけどな、出るのは知ってたから。
 そう。手、が。
 木の幹の裏側から、やっぱり肘から先の方が見えて、手の平がひらひらとゆれて。色が抜けたように白くて。ただひらひらひらめいているだけなのに、どうにも目を奪われるのは同じだった。
 どのくらい見てたかね。校舎から昼の放送に流す曲が聞こえてきて、あっと思ったんだ。次の瞬間にはもう、手なんてなかった。
 さすがに気になったし、そん時はほら、確かめられる場所だろ。木の裏側に回りこんでみた、けどもちろん誰も。人一人の身体を隠しきれる太さはなかったから当然だよな。それに手や腕と勘違いするような物も、何も無かったんだ。
 次? 高校に入って、文化祭の準備してた時だから、一年の時だ。
 あの年は図書委員の企画中心に参加してて、クラス企画にはほとんどかまなかったんだよ。毎日図書室通い。その年に取り上げた特集作家の資料集めと展示パネル作りと、古本市用の本をかき集めるんで忙しくしてたな。それがちょっと一段落ついた頃だった。
 他の連中はクラス企画の準備で来られなくて、司書の先生は出張で不在。俺一人残って通常業務っつーと仰々しいけど、返却本を本棚に返しながら整頓してた。窓から夕陽が入って、蛍光灯の光が半端に暗く見える、そんな風だった。棚と棚の間にいると尚更な。
 そしたら、そんな本棚の陰からさ。
 ひらっと。
 うん、まただよ。真っ白い腕が、手が、見えた。
 ひらひらっていう、追うんでも払うんでもないそれの動きはどうも俺に向けられてるみたいだって、はっきり自覚したのがそん時で。
 鈍いだって? でもそん時が三回目だぜ、そんなんですぐわかるかよ。
 ただ、その後急によく見るようになったんだ。自覚したせいかね。毎日毎週ってほどじゃないけど、図書当番で一人残ってる時は大概出てきて。
 気味悪いとは感じなかった、またかってぐらいで。大体こう、ひらひらとゆれてるだけなんだから、害にも邪魔にもなりゃしないし。あ、ゆれてるだけなら手伝ってくれねえかなとは思った。テスト前とかさ。
 大学行ってからも見てるよ、変わんない。県外に出てもってことは、やっぱ場所じゃなくて、俺についてきてるんだろうなあ。
 手の先がどうなってるのかは、気にならなくもない。だってその手、どう見ても女の手でさ、ふつう気になるだろ。あれ見る度に目がすいよせられる感じがするし、呼ばれてるみたいだっては思うけど、だからって、なあ? 呼ばれてもどこ行きゃいいんだって。ま、今んとこ特に害はないみたいから放ってる。
 一番最近? 実は、ここ来た時だよ。だからつい話す気になったんだ。
 ああ、玄関のとこの木の陰でひらひらゆれてた。


  * *


 すっとカイが指差すのにつられて窓の方に顔が向いた。
 ひらと背後で何かがゆれたと感じ、俺はびくりと小さく肩をゆらして窓の外を見た。網戸越しに見えたのは夾竹桃の花の白で、他愛もない『正体見たり』に我ながら情けなくなり苦笑する。

 おどかすなよ。

 他の連中が口々に言い、カイが別にそんなつもりじゃないと笑い返し、するとそれまでどこか張りつめていた空気がふいにゆるんだのがわかった。特に恐ろしいことが語られたのではなかったけれど、なんとはなしに皆のめりこんで聞いていたので、過敏になっていたのだろう。
 俺だけではなかったのかとほっとして、しかし次の瞬間に違和感がざわりと背を冷やした。
 風鈴が微かに鳴りもしなかったのに、どうして夾竹桃の枝だけがゆれたんだ?
 いやきっと野良猫か何かが通りがかってゆらしたんだろう、珍しくもない。そう自分に言い聞かせて電気をつけようと立ち上がった。その拍子に視線が向いた先で窓が鏡のように、真正面に座るカイを映していた。
 皆と冗談を交わして笑っている彼の後ろから、頬を撫で絡みついている腕とともに。
 確かに白い、骨で組み立てられた細い腕と、一緒に。




【了】



/BACK/