幻、もしくは悪夢到来


 水も入れていない空っぽな硝子鉢に
 入れたわけでもない青い石が溢れていた

  キレツをひろげて
  木の根のように
  硝子鉢に飽和する

 青色の結晶体は
  とろりとろり
 ささやかれてとろけてしまう
 とろけてしまって
 住むものを欲しがって
 夢を見始める

  たくさんのきんぎょがいるね
  まっかなおびれはひるがえり
  こいあおにとけてひるがえり

 滑らかに熱を帯びた硝子面に
 残光がはりついてきれい
 あいかわらず空っぽのはずの硝子鉢には
 入れたわけでもない青い石が溢れていた


  山寺にて


大きな木があって
セミが静かにないていたよ
夏も始まりきっていないのにと言う人もいたけど
暑くなりきれない陽射しから隠れて
ひぐらしの声はジンジンと響いたね

石段を登っていくとあちらこちらにお地蔵さんがいて
プラスチックの風車が供えてあるんだ
赤い花みたいに
みんな無口になって
立ち止まって見ていたよ
汗ばっかりがじんわり落ちた

年経た巌も大木も
緑がじっとりと滴っていたけれど
運動不足の足はすっかり重くてね
休んでいたらセミがないていたよ
ジンジンと響いたね


  海鳴り


寝つかれぬ長い夜はふけ寝返りをうつ
おちつかぬ耳に至る広がり
遠き音に風かと見やれども
間近なる森の梢は震えもせず

怪しげに低く絶えざる響きは
睡気薄き呼気を惑わす
所在無くさまよう手は暗がりにおびえ
開け放たれた一面の窓

気まぐれに風は微笑み
ざざんと襲い来る重き調べ
南天にヒアデスは憂いを抱き
青ざめて深き空を仰ぐ

ざわめきはいよいよ猛く
眠られぬ胸に棲みつく
風がやむ 大気は冴えきり
ただ響く 暗き夜の音





  小夜曲


 マツムシ
 スズムシ
 クツワムシ
 ハタオリ
 コオロギ
 キリギリス

 九月初めの夜にひそみ
 行き場を無くした夏と秋


  車窓


歳を実らせ頭をたれる
秋の日の
黄金におう


  夏


空はがんとして晴れあがり
いくつかの足跡が刻まれていた
不在の証明のように

すべては濃淡であらわされているのだ

やぶにらみの鳥が飛びたつ草むらの底で
二頭の蝶がつぶやきあっていた

黒々と
太陽が輝き果てている

すべては濃淡であらわされていたのだ


  腐臭


ゆらぎたち
不鮮明となるかげろうの
憂う
暑さに高空より堕ちる
唸り声
在りえぬ数のはばたきをくり返す
すべてが
飽くことなく腐りおちてゆくという
沈黙

 永遠が何処にあるのか
 と
 問う声にさえも

腐りおちてゆくゆえに存在の匂いを思い出す


  憂い


陽射しにこもる雨の気配
永き夜は傾き

忘れまい
皮膚の裏側に熟して不規則な
誰かの足音

空気が濃く喉につめこまれて
ため息ひとつにも
視界はしらじらとかすんでいた







  曼珠沙華


 爪先立ちたる秋の匂いは
 蕊にざわめく

  燃ゆるかよ

 赤にも赤し曼珠沙華