People in the Marvelous Wind






 》 hunt 3:

 おおよそ20メートルは降りただろうか。陽射しが届かぬ地下の底、螺旋状の狭い急階段の最後の段で一旦足を止めると、彼は胸ポケットからモノクルを取り出して左眼に嵌めた。
 ぐるり見回した地下の空間は、濃密な闇に満ちていた。周囲を取り巻く壁は光を吸い込む漆黒の岩を削りだしたもの、それも一塊の岩を刳り貫いたものではなかった。滑らかな手触りは信じられぬほどであったが、それはいくつかの岩を組み合わせながら、その接合面は奇跡的なほどに紙一枚の段差も無い。
「ほんと、惚れ惚れするね」
 いったい何の目的で作られたものか不明ながら、並みの技術力ではない。『遺跡』はほとんどがそうだった。一見すると科学技術など持たぬ単純に古代の建造物と見えながら、そこここで当たり前のように高い技術が用いられている。発見される『遺物』も然り。何に用いるのかさっぱりわからぬものも多いし、今もってその原理が解明されていないものもある。まあ、仕組みがわからなくても、実用に支障が無ければ文句はないのだが。
 彼は手袋をはめた左手を常に壁に触れるようにして歩き出した。
 通路の幅は、片腕を完全に伸ばすと指先が触れる、そんな程度の狭さ。何か仕掛けが発動すれば逃げるのは困難だろう。にも関わらず、彼の足取りにためらいを思わせるものは一切無い。
 20メートルを進んで振り返る。
 モノクルを通して、左手で触れた箇所が蛍光色に光って見える。途中の数メートルを除いて。
「動く壁、な」
 どうやら入ってきた階段も塞がれたらしい。これほどの質量を移動させて、一切の音も振動も生じさせないこの技術。1メートル先で通路は左右に分かれていた。にやりと笑い、彼はまず左へ曲がる。
 まさに目の前で壁が動いていた。


 しかしながら見事に仕掛けだらけの迷宮だった。
 矢や槍が飛来するわかりやすい仕掛けの他に、不意に左右の壁が通過中の男を潰そうと作動したもの、落ちはしなかったが落とし穴は数知れず。強く押せば壁は回転し、床が上昇した時には危うく天井部に貼り付けになるところだった。
 そして無駄を承知で印をつけて30分、とうとうモノクルは解析不能の表示を映し出した。あまりに変化がめまぐるしく、変化のパターンが多いのだ。仕方がないので入った地点から現在地の位置関係の表示に切り替えた直後、彼はそれに踏み込んでいた。
 超高速エレベーターに乗った時のような感覚が全身を包み、減速感を感じさせぬまま急速に移動が終了する。覚えのある感覚に確認したモノクルは、かなりの長距離を飛ばされた事実を表示した。どうやら地上部分以上に地下部分は広大だったらしい。
「…う〜ん、転送装置とは。こりゃ、久々に極上」
 『遺跡』は日夜数多出現しているとはいえ、この仕掛けが存在するのは流石に稀で、しかも例外なく難度が高い。しかし、これまで見たのはどれも長期型の『遺跡』でだったのだが。
 まあ、収穫が多いことはこれで確定。
 強制移動にもさらっさら動揺無く、彼は新しい暗闇に足を踏み込む。壁面はやはり漆黒の岩。ただ、今度は平らではなく、微妙に凹凸があった。ライトの光量をあげてよくよく見ると、それは人間の浮き彫りだった。気色の悪いことに表情は断末魔の絶望を表現したもの、手足はまるで何かに抗うような様。精巧ではあったが悪趣味の印象を受けて彼は顔をしかめた。
 とりあえず思いつくままに左に進む。すると進路上にもいくつか同様のレリーフが見つかった。やはりその表情は恐怖をあらわにしたものや、絶望に満ちたもの、呆然と虚空を見つめるもの。
 見れば見るほどに気分が悪くなる。これはもしや最初の場所とは全く種類の違う『遺跡』なのかもしれない。ふと思い至って、彼は足を止めた。モノクルの設定を変更して通路を観察すると、踝の高さに何本もの赤色の線が張り渡されていることが確認できた。侵入者を感知するセンサーだ。彼自身もすでに数本を横切っているが、いったいこのセンサーは何をもたらすのか。
 排除できない以上、触れない方がいいのは確かだろう。極めて用心深く、すばやく、赤色の線に触れないように彼は気づいた地点を離れる。すると…
「をわっ!」
 流石にのけぞった。唐突に彼が立っていた丁度その場所の床と天井が抜け、轟音とともに多量の水が落下したのだ。跳ね散った水滴が頬に触れる。恐ろしく冷たかった。
 ほんの数秒。
 水流が通過するや否や天井と床は元の通りに塞がれ、あたりにはしばし残響が木霊し、やがてしんと静まりかえった。
 いささか荒くなった自分の呼吸音に気がつく。苦笑を浮かべ、彼は気を引き締めて再び通路を進んだ。
 歩き始めた瞬間ほんの少し、足元が粘ついたような気がした。ほんの、少し。






《 hunt 2 》   《 hunt 4 》




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