いつも通りに声だけかけて返事も待たず扉を開けた、と同時に勢いよく両肩を叩かれ。
「鍋やろう、鍋! 鍋、鍋、鍋!!」
「………えらく唐突だな」
 ため息でロウは応えた。
 クリスが脈絡なく何かを言い出すというのは、別に珍しくもなんともない。被害が自分に及びかねない実験とか試用とかそんな言葉がついてない誘いなら、つ きあってやるのも別にどうしても嫌ってわけじゃない。
 問題はただ時にその行動があまりに唐突であったり、勢いがありすぎたりということだけだ。
「鍋はいいけど、どこで? おまえん家、土鍋なんかあったか?」
「いや、あるぜ。昨日、棚あさってたら立派なのが出てきた」
「………安直」
「いいじゃん。寒い日にはやっぱあったかい鍋だろ。んで、日本酒。な?」
「ま、それに関して異存はないが。…男二人で鍋かよ、まったく色気ねえなぁ」
 玄関からあがってみれば、唯一の和室のこたつの上に卓上コンロ、準備万端どんと土鍋が置かれ、具材の一部ともちろん日本酒の瓶が周囲に並べられている。
 と、ふいにロウは眉を顰めた。材料が、二人分としてはやけに多い。
「…他に、誰か呼んだか?」
「おまえのお気に入りの子猫」
「酒入れるってのに未成年を…、それはとりあえずいいか。それよりまさか……おまえの幼馴染には……」
「………そんな背筋の凍るようなことを言わんでくれ………」
 一瞬、クリスの表情筋はものの見事に硬直した。心臓の上に手をあて、慄くように否定する。
「ならいいがね」
 顕著な反応に嘘ではないと安堵して靴を脱ぎ、ロウは上着を邪魔にならぬよう部屋の隅に放った。
 遠慮なく酒瓶を物色していると、気を取り直したクリスがコップを持ってきた。
「んで? シルヴは、いつごろ来るって?」
「んー、そろそろだろ。一応、何か食材は持参するように言ってあるんだが」
「おまえ、ガキ相手になぁ…」
「いや! あの子猫は人並み以上の胃袋を持ってるんだ、甘い顔をしてはいかん。それに年齢的にはガキかもしれんが、ハンターとしては実績あるんだし」
「……ま、いいけどね」
 手酌で並々とコップを満たし、乾杯も何もなしにさっさと飲み始めたロウを、別にとがめだてするわけでもなくクリスはクリスで自分の好みの酒を選び、口を 開ける。
 声をかけた人間がまだ到着してはいないし到着時間の確認もしていないのだが、委細かまわずてんでに鍋に具をつっこみ始めた、ちょうどその時だった。
 来訪者を告げるチャイムが鳴った。
「来たな」
 身軽くクリスが立ち上がり、珍しくも相手を確認せずに玄関の扉を開け。
 硬直した。
 即座に、彼の様子がおかしいことに気づいて立ち上がったロウが目にしたのは。
「ご馳走になりまーす、材料も持って来たよー♪」
 元気良くはしゃいでいる子猫と。
「やほー。みずくさいじゃない、僕に声をかけてくれないなんてさ♪」
 にっこりと、その美貌をもっともひきたてるように微笑んでいる、リオニスの姿だった。






 なんだかんだで具合よくこたつの四方に一人ずつ陣取ると、わくわくと顔に描いてるようなシルヴが、聞かれるままに同行者の件について説明した。
「ちょうどねー、クリスから連絡来たとき、リオニスさんといたんだ。っていうかそもそも、リオニスさんの用事で協会に顔出してたんだけど」
 最悪、っとこちらも顔に出してクリスが撃沈する。それでは秘密にしろも何もあったもんじゃない。
 自爆しているクリスを余所に、とりあえずリオニスの手の届く位置から酒瓶を遠ざけながら、ロウが話をふった。
「それで結局、お前はどんな具を持ってきたんだ?」
「えー、そんなの言っちゃったら趣がないじゃん」
「は?」
 シルヴに聞いたはずなのに、何故かリオニスが口を挟む。さらにその内容の不可解さに、思わず問い返した。
「趣?」
「え、だって具材は内緒にするのが、闇鍋のルールなんでしょ?」
 今度はシルヴ。すうっと、半眼になった目が顔だけはすこぶる良い二人を凝視し、再び聞き返した。
「…闇鍋?」
「……違うの?」
「………おい、クリス?」
「…………誰がそんなことを…………」
 言いつつ頭を抱えたところを見ると、クリスの発案ではないらしい。
 となると。
「え、だって、鍋って言ったら、闇鍋でしょう?」
「「んなわけがあるか!」」
 期せずして同時に叫んだ二人を、きょとんと見つめる大きな目が二対。
 脱力して、クリスは再びこたつの天板につっぷし、ロウは投げやりな表情でコップを空けた。
「どっちにしろ、せっかく闇鍋用に材料準備してきたんだから、やろうよ。ね?」
 どこまでが故意なのか、偶然なのか。
 湯気を立てている鍋を前にした美貌は悪びれたふうもなく、反論を受け入れる余地も見せずに、にっこりと笑った。
「………クリス、諦めろ」
 ごく単純にごくごく普通の鍋が食べたかったのであろうクリスには悪いが、リオニスはすでにここにいて、やる気満々である。しかもその隣には、やはりもの すごく楽しみそうなシルヴも待ち構えている。
 この二人を説得して止めさせるよりは、素直に期待に応じてやった方がいいだろう。いくら闇鍋とはいっても、あまりに鍋の具としてふさわしくなさすぎるよ うな物は持ってきてはいないだろう。………たぶん。
 食べられる鍋にするぐらいの良識を期待して、ロウは大きな鍋の蓋を開けた。
「俺とクリスは、何も用意してないぞ」
「冷蔵庫の中にあるもの、何か出してきなよ」
 その断定口調は何なんだ、と言おうか言うまいか迷ったものの、言ったところで何が変わるわけでもなさそうなので、大人しくロウは冷蔵庫の中味を物色し た。彼が戻るとクリスが。
「十数えるうちに、入れるように」
 すっかり仕切っているリオニスが、クリスに命じた。
「じゃあ、電気消して」






 ぐつぐつぐつ…
 心地よい音をたてて鍋は煮えてゆく。
 ぐつぐつぐつ…
「闇鍋のルールといったら、何はさておき箸をつけた物は食べるってことだよね」
 リオニスがシルヴに向かって断言する。
 ぐつぐつぐつ…
 ぷんと、煮えた具の香りが室内を満たす。
 ぐつぐつぐつ…
「……おい」
 とっぷりとこたつに入り、酒を飲んでいたロウが低い声で言った。
「誰だ、カレーを入れたのは?」

 ぐつぐつぐつぐつぐつぐつぐつぐつ…

 まっとうな鍋を食べたかったクリスがそんなものを入れなかったのは当然のこと、シルヴは元気よく首を横に振り。
「…やっぱりおまえか……」
「えー、だって、カレーおいしいじゃない」
 だからといって、何故、鍋に。
「いいからいいから。ね、そろそろ煮えたみたい。食べよ食べよ」
 主にクリスとロウの心中のつっこみなぞ頓着する気配もなく、リオニスはおもむろに箸と取り皿を手にし、二人を目で促した。
 目をきらきらさせているシルヴと、やる気なく黙々と酒を飲み続けているクリスの様子を見、仕方ないかとロウは鍋の蓋を開けた。

 ぐつぐつぐつぐつぐつ…

「……せめて、切れ」
 今さら他に言葉が出ない。
 普通の鍋に入っていたとしたら、別にまったくおかしい具ではないのだが。今となっては激しい違和感を誘う。
 カレー色の鍋のまん中には、ちくわが、一本まるまるふくれあがって浮かんでいた。


 一人一品ずつ、カレー色の鍋の中から具を引き上げてゆく。
 闇鍋になる前に投入してあった具もけっこうあったので、どうしても食べられないような物には、幸いにしてなかなかぶつかることはなかった。
 というか。肉魚は言うに及ばず、つくねや練り物、野菜類はなかなかいい感じの味になっていた。豆腐や糸こんにゃくでさえ、恐れていたほどの違和感は無 い。
 カレーの色のために引き上げてみるまで見えないので、リオニスとシルヴの二人は一品ごとに楽しげなリアクションを見せ、クリスも観念したのだろう、それ なりに鍋を楽しみ始めた、矢先のことだった。
「……………これ、何?」
 箸に挟まれている、どろりとした茶色の物体に、じっと皆なの視線が注がれる。
「カレールーの溶け残り、か? リオニス、おまえいったいどれだけ入れたんだよ…」
「…こんなに残っちゃうほど入れてないと………あれ?」
「箸つけたら食べるのがルールだよー」
 そしてシルヴの言葉が示すとおり、誰も食べなくていいとは言わない。
 意を決して噛み付いたクリスは、しかし予想よりずっと微妙な感じで額に皺を刻んだ。
「………………………干し柿」
「…甘いのか」
「ああ、すげー甘い」
 もそもそと食みながら答える表情に、カレールーとどっちがましだったかとは、さすがのリオニスもとても口にしては聞けず。
 さらに。
「…もしかしてチョコレートも、こんな感じになってるかなぁ……」
「……………今なんて言ったぁ!?」
 そんなものとっくに溶けてるだろうとは、シルヴの呟きへの三人共通の至極素直なつっこみであった。






「あー、おもしろかった」
「…まあまあ、思ったよりも食える状態だったのは確かだな」
「んふふ、おいしかったよー」
 幾つかの、不幸な具材との遭遇を除けば、そこそこ和やかな鍋で終わりそうだった。少なくともシルヴとリオニスはかなり満足しておりその傍らで、具材との 不幸な遭遇を何度かしてしまったクリスは……。
 ふう、とため息をついてロウは目を逸らした。終わったことは仕方ない。
 さすがにここにうどんを投入する気にはなれなかったので、そろそろ鍋を片付けるかと腰を上げかけ、不穏な気配に視線を戻す。
 クリスは、気づいていなかった。
 が。
「ク〜リ〜スっ!」
 やけににこにこと、うっすら赤くなった頬にいつも以上に全開の笑みを浮かべたリオニスが、隣で黙々と飲み続けていたクリスの肩に懐きながら名を呼んだ。
「なんだよ、リオニス?」
「…えへへへへへへへ、鍋おいしかったねっ!?」
「………想像よりはな」
「すごくおいしかったよ。ごちそうさまでした!!」
「…な、うぁっぶ!?」
 ほぼ泥酔状態に等しかったクリスの反応は、いつになく遅れ。
 リオニスは。
 ねじるように脇に顔を向けたクリスの両頬をしっかりと両手で掴んで、自分に向けると。
 呆然とするシルヴの真ん前で、思いっきりキスしたのだ。

 マウス・トゥ・マウスで。

「……………え、うわ、ちょっと、何してるのリオニスさんっ!?」
「なあ、シルヴ。おまえ、もしかして酒粕入れなかったか?」
「酒粕? あ、入れた。鍋に誘われたって言ったらブリュンが、味に深みが出るからって薦めてくれたんだ。それがなに?」
「…やっぱりなぁ………」
 それを聞いたロウは深々とため息をつくと、そそくさと鍋を手に立ち上がった。
「え、ロウ? 助けないの?」
「後片付け。このままだと鍋にカレーが染みついて、普通の鍋に使えなくなっちまうからな。まあ、手遅れかもしれないが」
「でも、クリス、助け求めてるよ?」
「じゃ、おまえが助けてやれば? クリスには、助けるのがオレでもおまえでも、何にも違いはないんだから、恩を売る絶好のチャンスだろ」
 見ればまだ、じたばたとうめき声を上げながら暴れるクリスを、どう見ても一回りは小さいリオニスががっちりと押さえ込んでいる。
 ロウに言われてシルヴはおずおずとそんな惨状に近づき、リオニスの肩を軽く叩いた。
「あの、リオニスさん。そろそろ放してあげないと、クリス、窒息死しちゃいそうだよ?」
 するとリオニスは驚くほど勢いよくぱっと頭を上げてふり向き、覗き込んでいたシルヴを見やり。
 にぃっこりと、絶世の美貌に、満面の笑顔を浮かべた。
「シ〜ルヴッ♪」
「えっ!?」
「かわいいっ!!」
 まさに早業。
「…まあ、一応、自業自得ではあるんだが……」
 ロウは台所へ向けた足を止め、リオニスに思い切り抱きしめられながらキスされて目を白黒させているシルヴの姿を、憐れむような目で眺めていた。






「説明をっ! 要求するっ!!」
「ぐ、…簡単に言えば…」
 ほうほうの態で逃げ出してきたらしいシルヴが、台所で手際よく洗い物をしていたロウの背中に体当たりのように抱きつくと、予想はしていたロウは後ろ手で その頭を撫でてやり、そして教えた。
「リオニスは、酒乱でキス魔なんだ、昔から」
「キス魔ぁ?」
「ちょっとでも酔うと、近くにいる人間とっ捕まえてキスしまくるんだよ。しかもあの体格で案外力は強いし、酔っぱらってるせいか手加減無しなんで困る。更 に質の悪いことに…」
「悪いことに?」
「記憶が飛ぶ。酔ってからの記憶が無い、つまり自分が周りの人間にキスしまくってることを、聞かされるから知ってはいるが自分で覚えてはいない。だからな んだろうな、酔わないように酒を控えるってことを、真剣に考えないんだよ」
「うわぁ……」
「オレもクリスもそれをよく知ってるんで、酒を飲むときにリオニスだけは呼びたくないんだ」
「あー、じゃあつまりさっきのアレは……」
「おまえが入れたっていう酒粕のせいだろうな。オレたちは最初から酒飲んでたし、それにカレーの匂いは強いから、匂いに気づかなかったってとこか。どれだ け大量に入れたのかは知らないが、ま、おまえもリオニスの洗礼を受けたことだし、クリスには言わないでおいてやるよ」
「う………、そだね、お願いします」
 ただでさえ、不可抗力だったとはいえ、居合わせたリオニスを同行してきてしまったのだ。これが知れたら、どんな目に合わされるかわからない。クリスの持 つウィザードの呼び名は伊達や酔狂ではないのだ。
 背中に流れる冷や汗を感じながら、乾いた笑いをこぼしたシルヴをロウは小さく笑って、水を止めた。
「さ、戻るぞ。そろそろ眠気に負けて倒れてる頃だ」
「はーい」
 元気よく返事を返し、でもロウの背中に隠れて部屋に戻ったシルヴは。
 まるで子どもが母親に抱きつくように、クリスの腰にしっかりと抱きついて幸せそうな表情で眠っているリオニスと。
 半分以上も酒が醒めてしまったような顔で、憔悴しきった様子のクリスの。
 あまりに対照的な姿を目にすることになった。
 そして。


「………鍋は、もう、いい」


 呻くようにクリスはそう呟きをもらし。
 闇鍋は、お開きとなったのであった。




《 完 》





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