People in the Marvelous Wind






 》 hunt 9:

 明らかにサイズのあっていないコートを身につけた小柄な少年は、まるで服に着られているようだった。思わず笑みを誘われ、…否応無く、硬く張り詰めた空気に気づかされて、微笑みは消える。
 オリハルコンに手放しで浮かれていた名残が無い。精巧な都市模型をきつく睨みつけているシルヴは、それまでの軽薄と言えそうなほどのやわらかな雰囲気を唐突に失い、暗闇にぼんやりと白く浮かぶ姿は年相応以上に、脆く、見えた。
「おい。……大丈夫か?」
「え? ああ、うん。あのさ、これ壊すのを手伝ってくれないかなぁ?」
「壊す?」
「うん。これを壊したいんだ。めちゃくちゃに」
 くるりと表情を変えて口にされた思いもよらぬ台詞を耳にして眉を顰め、ロウはまっすぐに少年の目を覗き込んだ。
 冗談、ではない。なんでもない風を装ってはいるものの、通路での爆破騒ぎの時のような作った表情でもない。そしてまた。
 真摯で、切羽詰った眼差しは容姿を利用した笑顔以上に、いや遥かに勝って、魅力的だった。
「…なに?」
「いや。あんた、そいつを使いこなせてるわけ?」
「失礼な」
「ふ、ん」
 シルヴの自己申告を何処まで信じるか、ロウは迷う。力量を疑っているわけではない。だが口にはしなかったものの、彼が此処と同様の『遺跡』に遭遇したことは、実は一度や二度ではなく、その経験が、少年の発言への即答を避けさせた。
 壊す、とシルヴは言った。…言うほど簡単なことではないのだ。身に着けているものをまともに使えているのなら、そのくらいはわかっているべきこと。
 この都市模型は、おそらく見たままのものではない。必ず他の用途がある。そうでなければ、全てをこれほどの純度のオリハルコンで作り上げる意味が無いのだ。周囲に無造作に転がっている、都市模型として組み込まれていないオリハルコンもまた、緊急時の補助動力のような役目を担っている。
 そして、機能はこの室内だけで帰結しているわけではあるまい。『遺跡』全体が、木でいえば根っこにあたる、そんな構造になっているはずだ。うかつに手を出せば、自滅する。それがわかっていたから、今までも多少のオリハルコンを持ち出すだけに留めてきたのだ。
 大体、出入り口部分に移動の感覚がほとんど生じない超高性能の転送装置を仕込んであるなんて場所に置かれたものが、単純な代物だった例などいまだかつて無い。この部屋は『遺跡』の脳か心臓にあたる、まさしく中枢だ。
 ちょっかいをかけた瞬間に、守護者が大量になだれ込んできてもおかしくはない場所。『遺跡』内のいかなる場所にもまして、危険な場所。
 その事実をわかっているのか。
 そしてまた、危惧することは他にもあった。
「以前に、自想式PCが暴走して、ハンターが死んだって話を聞いたことがある」
「…」
「なあ。こいつが、そうじゃないのか? 現存する唯一の、オリハルコンを組み込んだウェアラブルPC」
 口を閉ざせば、信じられぬほどごくごく小さな駆動音が沈黙を置き換える。本体からの放熱によって暗闇にほのかに浮かび上がる白っぽい姿、この世のものではありえないかのように。
 死んだハンターの名まではロウも知らない。シルヴとはどれほど親しい関係だったのだろう。形見として譲り受けたにしても、実用化に至ったところでウェアラブルPCはあまりに高価で、それ以上に気軽に譲り渡すには容易ならざる代物だ。何よりこの装備には、問題があると聞いた。
「これだけの純度のオリハルコンが転がってるこの場所で、あんた、本当に暴走させずに、手綱を取り続けることができるのか?」
 一瞬、大きな瞳が瞼の下に隠れた。
 ためらいも、一瞬。
「できる」
 薄茶色の瞳が挑戦的に輝く。きっぱりと、笑みさえ浮かべて少年は断言した。ぐんと背中を伸ばし、顎をつんとあげて。
「おれになら、できる。暴走なんて、させるわけないよ」
「じゃあ、こいつを壊すってことが、この『遺跡』そのものを破壊する行為だってのは、わかってるか?」
「とーぜん」
 もはやなんのためらいもなく、却ってバカにするなと言いたげに口を尖らせて応えたシルヴの目を覗き込んだロウは、ふいににやりと口元に笑みを刻んだ。
「いいだろう。つきあってやるよ」
「ほんとに!?」
「その代わり、始めたら絶対に立ち止まるな。それと、間違いなくオレの手の届く位置にいろ。そしたら、どんなに危険な状態になっても必ず、地上に連れ戻してやる。必ずだ」
 飛びつくように胸元に入り込んだ少年のやわらかな髪を、ぐしゃりとかきまぜる。
 見上げてくる剛い瞳の輝きが、たとえ精一杯の強がりでも、そこには欠片も嘘は無いから。
 …まっすぐな瞳が、とっくに気に入ってたから。
 ロウは力強く笑った。
「信じろ」






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